「FIRE」という生き方を考える

 前回は「捨てられる宗教」と言う本を紹介し、長寿社会での生きにくさを伝えました。今回はそんな世間で「我が道をゆく」と新しいライフスタイルを模索する人を紹介したTV番組の感想です。
 
NHK 2月17日の「かんさい熱視線」というローカル番組で<FIRE>という新しいライフスタイルを実践している人を紹介していました。
 これは「Financial Independence, Retire Early」を略した言葉で、直訳すると「経済的自立と早期リタイア」という意味になります。簡単に言うと、若いうちにしゃかりきに働いて、稼いで、貯金して、目標額に達したら仕事をやめ、自由気ままに暮らすという暮らし方です。生活費は資金を運用して利殖で捻出します。


なんでこんな思想が生まれたのか。ごく一部のエリートを除き、サラリーマン人生の将来を考えたら<絶望>しかないと判断する人が増えたからです。何十年も先の老後の安定した暮らしを会社に頼るなんてもう夢に近い。定年が迫った時期にそれを気づいても遅い。負け組です。


だったら、アタマも身体もまだ元気なうちに必死に働いて(アタマを使って)金儲け(貯蓄)に邁進する。そのための苦労にはひたすら耐えるしかない。例として紹介されたAさんは月収40万のうち6割を貯金する生活を実施、遅くとも10年後に3000万円を貯めて、そこから本格的に投資活動に入ると。このため、冬でも暖房ナシの暮らしに耐えている。(夫婦二人暮らし)


Bさんは40代後半でなんとか<毎日が日曜日>の暮らしを獲得できた。投資の利殖で生活費を得るために貯めた資金は6000万円。むろん、仕事をしない暮らしイコール贅沢な暮らしではない。出費はシビアに計算している。それでもサラリーマン生活に比べたら十倍、百倍楽しい日々だという。みんなが働いてる平日にガラ空きのスキー場を思いっきり滑る楽しさよ、とご満悦です。


ところが、番組後半にアンチが現れた。Cさんは投資による利殖でなんとかメシが食える状況なのに、悶々と悩んだあげくにサラリーマンに戻ってしまったのだ。毎日が日曜日、働かなくてよい日々に耐えられなくなった。お金はある。ヒマもある。何の不足ありや、と思うのですが、まあ、贅沢な悩みというか・・。

 dameo  の勝手な想像を書くと、Cさんには遊びのセンスがなかった。これって大事な問題です。あれこれ迷った挙げ句、Cさんは保険会社に就職した。彼のコメントは「自分が世間の誰かのために役立っていることを実感したかった」と。失礼ながら、CさんはFIREの失敗例だとお見受けしました。


三人の方の共通認識は「サラリーマン人生の末路はマックラ」であること。数パーセントの例外を除いてこの見方は正しいように思えてしまう。しかし、雇用される身でないと生活できない、と思い込んでる人は結構多いのではないか。だからといって自分は何ができるのか。番組に出た人の発想、実績から考えると、FIRE人生を目指すには30歳くらいでの決断が要るのではと思いました。