吉村昭 短編集「碇星」を読む

 近頃、視力が衰え気味なので弱視者用の大活字本で読みました。これなら330ページを3時間以内で読めてとても快適。本の内容も大事だけど、ロージンには読みやすいかどうかも選択の判断になります。前回紹介した中島敦の短編集は全180ページ中「注解」が40ページを占め、はじめて読む人はオタオタすると思いますが、ま、それでもおすすめしたい名作です。


本書の「あとがき」で著者は「長編小説を書き上げると心身消耗して放心状態になってしまう。なので、次に手がけるのは短編と決めている。長、短のサイクルをつくって創作力を保持する」と。なるほど、これも永年の作家稼業に必要な智恵かもしれません。なので、本作品は老いたサラリーマンの悲哀を描いた作品が8本、サラリーマンを卒業した人には「そやそや」と共感できる話ばかりです。


こんな出来事、世間ではいかほど実例があるのだろうかと思いながら読んだのが「寒牡丹」。定年を迎えた主人公がひとり娘の結婚がまじかになり、安堵と寂しさの混じった気持ちで日々を送っていた。いよいよ結婚式が近づいたある日、妻がこう言った。「あなたはこのたび定年を迎えたけど、わたしも定年を迎えたのよ」「定年になりましたから家庭の勤めをやめます。ひとりで暮らします」「ついては退職金の半分を頂きます」


ガガガ~~ン・・今まで不仲で喧嘩ばかりしていた夫婦ではない。きわめてフツー、平穏な日々だっただけに男は脳内ワヤワヤになるのであります。しかし、ここで取り乱しては男の沽券に関わる。必死に冷静を保つふりをする。


「でも、なんだ、んん~~~、ままま、落ち着けよ」と言わなくても妻は夫より百倍落ち着いていた。平穏なアフター定年生活をイメージしていたのに、娘と妻が同時に去ってゆく。しかも、退職金の半分をよこせと。
 こういう人生の暗転、いかほど実例があるのか。夫婦1000組に1組くらいあるのかなあ。話がこじれて裁判沙汰になった例もあるかもしれない。


しかし、考えて見ると,この作品が生まれたのは1990年ごろです。ということはバブル景気の余韻が残っていた時代で、大企業で定年まで勤めると十分の退職金がもらえ、年金も今よりずっと潤沢でした。つまり、老後の生活設計の点では十分余裕がありました。妻が退職金の半分をよこせ、という背景には老後生活資金にゆとりがあったからです。戦後史というスパンで考えても、サラリーマン生活が最も恵まれていた時代だと言えます。(但し、大企業に限る)


令和の現在はどうか。妻が「退職金半分よこせ」と同じセリフをいえるのは、夫が十分出世してる場合に限られそう。住宅ローンが残っていたりすると、もう発想自体がアウトでありませう。金銭面だけ考えると、30年前よりは離婚しにくい社会状況であります。さらに、今は多くの会社で定年の10年?くらいまえに給料がガクンと下がるそうですから金銭事情はいっそう厳しい。


他の作品にも言えることですが、著者のサラリーマン人生観はえらく類型化していて、現在からみれば時代遅れの感は免れないけど、まあ仕方ない。あと30年くらいすれば、男女平等がすすみ(?)夫婦共稼ぎがフツーになって、昭和時代の会社勤めは「ベル・エポック」でありました。でも、中身は「古き良き会社奉公時代」でしたけどね。(底本は中公文庫2015年発行)