高村友也「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」

 ~生と死と哲学を巡って~ というサブタイトルが付いている。雑木林や河川敷に粗末な小屋をつくり、引きこもって暮らす青年の独白を綴ったよみものであります。小屋暮らしの理由は無職無収入で追い詰められて・・と想像しがちだけど、ちがひます。♪~貧しさに負けた いいへ世間に負けた・・♪からではありませぬ。裕福な家庭で育ち、学歴は東京大学哲学科卒であります。


なな、なんでやねん?貧乏以外にワケありかい?。著者が述べるに、小学生のころ、いつもと同じように寝ようと横になったとき、突然「僕はいつか死ぬんだ」と脳天に閃いた。僕が死んだら、百年、千年、万年、暗黒の世界をさまよわなければならない。怖い、絶対嫌だ。この、2~3秒の恐怖体験が平穏な暮らしとは別の世界があることを知らしめた。


ま、著者でなくてもこのような「一瞬の恐怖感」を体験することはあるかもしれない。でも、普通は二三日もたてば薄らぐ、忘れるものだ。しかし、著者はアタマが良いばかりに忘れるどころか、いつ起きるか分からない「死」に全力で対峙する子供らしからぬ悩みにさいなまれることになった。・・と書きながら、凡脳の持ち主、dameo は、困惑の体で読みすすめたのであります。


「死」について純粋に、とことん考え貫くには家庭という環境はあまりにぬるい、だるい。だったら、とことん一人きりになれる場所をつくろうと模索した結果が手作り小屋暮らしだった。断じてレジャーではありませんからね。
 東大哲学科卒のにいさんがトンカチ小屋づくりなんて場面を想像するとついニヤニヤ笑ってしまいますが、笑ってる場合か、生きるか、死ぬか、それが問題だ、の真剣勝負、あだやおろそかに出来ませぬ。


かくしてボロながら小屋ができ、存分にテツガクするさまを述べています。難解な言葉は出てこないけど、さりとて「死」についての観念をあれこれ述べたててもナゼかフツーの生活感に止まってしまう感じで新鮮味がない。(斬新な発想を期待したのがまちがいだった)そもそも、なんでこんな本を出版する気になったのか、という基本的なクエスチョンが解けない。


読み終わって、ふとこんな古い言葉を思い出した。「高等遊民」。これですよ、彼は。高等遊民高等遊民(こうとうゆうみん)とは、日本で明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。 https://ja.wikipedia.org/wiki/高等遊民


優秀な頭脳をもちながら世間のフレームからはみだして非生産的な生活を是とする。むろん、それも当人の自由でありますが、せめて読者にはもう少し中身の濃いメッセージを届けてほしかった。まだ若いから2冊目に期待しませう。(平成27年 同文館出版発行)