~関西弁版~ プラトン「ソクラテスの弁明」を読む

 以前「歎異抄」の関西弁版を読んだことあります。今回はギリシャ哲学。この書名を見ただけで、めまいや眠気を催す人がいるかもしれない。大方の人にとって難解な書物でありますが、世間には奇特な人がいるもんで、難解と敬遠されるのは、翻訳文がガチガチに硬すぎるからではないか。だったら、関西弁で翻訳したらどないや、と思いつき、ほんまにやってしまった。その人が本書の著者、北口さんであります。ミナミの料亭の息子、大阪大学中退・・ま、関西弁操るのは得意でありませう。プラトンが天上で知ったら「なんちゅうことしてくれるねん、高邁な哲学をわやにしよる」とぼやくかもしれませんけど、とにかく読みやすいことでページ繰りはすいすい進みます。


実際、どんな文章になっているのか。たとえば67ページを開けると・・・「もし、みなさんがわたしを死刑にしはるんやったら、それはわたしよりみなさんが損することになりますやろ。ちゅうのは、メレトスもアニュトスも、わたしに損させるようなことは何もできひんからです。そんなこと、できるわけあれへん。そんな劣った人間が、立派な人間を損させるようなことは、あってはならんことやと思うからです」

 

(略)「アホなこと言うてる思われるかもしれんが、わたしは、神がこのアテナイっちゅう国にくっつけた人間ですわ。たとえたら、この国は品格のある立派な馬で、せやけど大きすぎてぼーとしとるから、しゃきっとさせるには、蜂や虻みたいなもんが必要で、わたしがそれっちゅうわけですわ。せやから、わたしは一日中、いろんなところへ出かけてって、説得したり、非難したりすることをやめへんのです」(引用ここまで)


どないです? こんな文章なら読めまっしゃろ。なーんも難儀なことあらしまへんがな。北口はんは、でけたら「船場ことば」で通したいと思ったらしいけど、それはどないでっしゃろ。ちょっとあかんみたいな気がしまっけど。・・にしても、ソクラテスが関西弁でグダグダ演説するやなんて、いちびりもええ加減にしいや。


ところで、閑人の、いや肝心の「ソクラテスの弁明」ってなんのことか。
 紀元前400年ごろ、アテナイの賢人といわれたソクラテスが、自分より賢い人間がいるかを知りたくて、いろんな人に議論をふっかけ、「知」とは何か、「死」とは何か、いろいろ探求するのでありますが、次第に世間からうっとうしがられ、キモイじじい扱いされたあげくに告発されてしまう。その裁判の席で延々と語った「弁明」のことであります。(ソクラテス自身は何も書き残さなかったので、弟子のプラトンが著した)


驚くべきことに、陪審員は投票によってソクラテスに死刑を決めてしまう。その判決理由が「なんかしらん、言うてることがええ加減で世間をたぶらかしてる。若者に悪影響を与えた」というものでありました。この超不当な裁判結果を彼は受容する。死刑を免れるハウツーはいろいろあったのですが、有名な「悪法も法なり」の言葉を残し、牢屋で用意された毒物をぐいとあおって亡くなった。


このとき、日本はどうであったか。まだ「弥生時代」でありました。日本という国家もなく、王様もおらず、文字すらなく、農耕と狩猟でしみじみ暮らしていた。そして、日本のエース、聖徳太子が出現するのは、ソクラテス裁判の1000年後でありました。(2009年5月 パルコ出版発行)

 

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