竹村公太郎「水力発電が日本を救う」を読む

 日本のエネルギー資源問題でとても勉強になる本に出会った。エネルギー問題といえば「再生エネルギー」か「原発(再稼働)」ばかりが話題になるけど、本書は「水力発電」をもっと活用しようと提案するものです。


筆者は元国土交通省河川局長というガチガチの官僚なので、一般人のイメージとして退官後は「天下り」「利権漁り」で甘い汁を吸うことに生きがい?を感じるワルを想像してしまう。ま、事実、大半がそうでせう。


竹村氏は職業人生の大半を「ダム造り」で過ごした土木屋さんだった。ホワイトカラーではなく、大型ダム建設の現場責任者が主な仕事であったことから生涯「ダムおたく」だったらしい。(本人はそんな言い方していないけど)


さて、本題。書名を見ると著者は国内にもっと大型ダムをつくって水力発電を増やそうと唱えているように思うが、そうではない。むしろ、新ダム開発不要論者である。新しくダムや発電所をつくるのではなく、既存ダムの運用を変えて発電能力をアップしようという。


なんのこっちゃねん、であります。「ダムの運用」なんて一般人は何の興味も知識もない無味乾燥のテーマです。しかし、これが本書のキモであります。
 ダムは治水、利水、環境保護などの目的で作られます。利水の一つが水力発電です。現在、日本の電源の半分以上は石油や石炭による火力発電で水力発電の比率は約8%、太陽光発電と同じくらいです。


著者は「ダムの運用方法」を変えることで水力発電量をもっと増やせるという。
ダムの水位は洪水防止のためには貯水量は少ない方が良い。水力発電を多くするためには貯水量は多い方が良い。この相反する目的をかなえるのは難しい。そこで、単純な発想「ダムの水位は最高と最低の中間が望ましい」となり、これがダム運用の憲法みたいになってしまい、現在も守られている。


こういう運用方法を決めたのは昭和時代だった。その後、科学技術が進歩して気象予報の精度が高まり、数日先の雨量予報がしやすくなった。ということは、発電量を増やすためにダムの水位を上げられるわけで、これを全国で実施すれば大幅に発電量を増やすことができる。何よりのメリットはコストがかからないことだ。発電のモトになる水はタダであるし、運用を変えるために人件費が増えるわけでもない。原発みたいに自治体や住民の許諾が要るわけでもない。


我らシロウトの考えではダムの運用方法を変えるくらい、来月からでも実行でそうに思えるのですが、石頭官僚にはできない。ただ一人、著者、竹村氏だけが官僚の石頭思考を非難しています。


ダムは原発より安全
 原発と違い、ダムの安全性について誰一人関心をもたないのはダムが壊れて甚大な被害を生んだという知識、経験がないからです。なるほど、そうだったのか。1995年の阪神大震災山陽新幹線新神戸駅北側には築100年以上の「布引ダム」があるのですが、破損とか被害はゼロでした。(もし、壊れて貯水池の水が街を襲ったら大惨事になっていた)


全国には大小何千というダムがあるけど、地震で壊れて下流の街や村が呑み込まれた、という惨事はなかったらしい。(但し、中国などではよくある)
 ダムはなぜ丈夫なのか、これははじめて知ったことなのですが、ダム工事には「鉄筋」は使わないこと。鉄筋はコンクリートを補強するために使うと思っていたけど、それはビルなどの建築の場合で、ダムには使わない。ビルなどと違い、ダムでは厚さ30mの壁をつくるなんて普通のことなので鉄筋の出番がないのです。それに、鉄筋は必ず錆びるので、これが強度の弱体化を招く。


水力発電を生かして国益を増やそう
 たいていのダムは山奥にあるので存在感は小さいけど、今一度、水力発電のメリットを考えてみよう。小学生にも理解できるシンプルなテーマです。

1・発電エネルギーのもとになる水はタダである。
2・水には所有者(個人・法人)がいない。
3・必要に応じて発電量をコントロールできる。
4・ダム建設には膨大なコストがかかるが、以後の維持、管理費は安い。
5・火力や原発に比べて寿命が長い。
6・太陽光や風力発電のように発電施設自体が環境破壊や騒音公害などを起こすリスク   は小さい。運営企業の経営破綻の懸念も小さい。


むろん、水力発電にはデメリットもありますが、太陽光発電のように、発電量が増えるとともに環境破壊も増え、消費者の金銭負担が大きくなる「利権まみれの陰険な発電システム」より優れた発電システムではないかと思った次第です。他にも興味ある記事がありましたが長くなるので割愛します。(2016年 東洋経済新報社発行)

 

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