川村湊 関西弁の「歎異抄」を読む

 理解しにくい「歎異抄」をなんとかやさしく伝えたいと、各界のセンセイ方が解説本を著してきました。一般向けでいちばん大儀な本は高森顕徹監修「歎異抄をひらく」で実に350頁を費やして解説しています。出版社の名前が「1万年堂出版」というのも 面白い。


そんな歎異抄解説本競争のなか、これはどないや、と参戦したのが本書であります。誰も試みたことがない関西弁(大阪弁)による解説です。関西弁で、かつ話し言葉なのでたしかにソフトで親しみやすい。これは拡販のための「アイデア商品」かもしれないと思いました。


しかし、関西以外の土地ではどうなのか。方言というフィルターを通すのでかえって理解しにくいのではと想像します。たとえば、有名な第三章「悪人正機」ではこんな文章になります。原文は「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを 世のひと つねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや・・・」(略)


この文を本書では「ええ奴が往生するんやさかい、ましてや悪い奴がそうならんハズがない。世間のしょうむない奴らは、悪い奴が往生するんなら、なんでええ奴がそないならんことあるかいなというとるけど、なんや理屈に合うとるようやけど、それは「ひとまかせ(他力本願)」ちゅう、モットーにはずれとるんや・・」「つまり、何でも自分の力でやろうと思うとる奴は、お願いします、ちゅう気持ちの欠けとる分だけ、アミダはんのいわはる誓いと違うとる。けども自分頼み(自力本願)という心を入れ替えて、まあ、あんじょうたのんます、と願うとれば、ホンマもんの極楽行き、まちがいなしや。


どないです?関西弁の「歎異抄」。関西弁のほうがわかりにくいという人も多いと思います。原文から脱線せずに口語文にすると、これくらいが限度かもしれません。ところで、読者は歎異抄から何を学ぶべきなのか。いろいろあるのかもしれないが、自分は「他力本願」思想ではと思っています。(2009年 光文社発行)

 

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