安部龍太郎「等伯」を読む

 安土桃山時代の絵師、長谷川等伯の生涯を描いた直木賞受賞の力作。昨年、Tさんから頂いたものの、上下二巻、700頁のボリュウムなのでなかなか進まず、2ヶ月近く経ってようやく読了しました。


等伯といえば、頭の片隅に「松林図」という、ぼや~んとした水墨画が浮かぶくらいで何もしらなかったけど、本書を読めば、信長~秀吉時代のアーティストの生き方、仕事ぶりがとてもよく分かる。上巻はやや退屈するところもあるが、下巻は結構波瀾万丈で面白い。ただ、あくまでも小説なので歴史事実とごっちゃにならないよう注意が要ります。


長谷川信春(のちの等伯)は北陸、七尾の生まれ、地元で仏像を描く絵師としてそこそこの実力者であったがこれに満足せず、30歳を過ぎてさらなる修業と出世をめざして京都へ移る。都では全く無名であり、また既に狩野永徳を頭とした狩野派が業界を牛耳っていたので仕事を取るのが容易でない。言ってみれば、パナソニックアイリスオーヤマがチャレンジするが如しで大きな仕事は望めず、扇の絵付けの仕事でメシ代を稼ぐ日々。しかし、これが好評でガッポリ儲けることができた。


野心家であった等伯千利休近衛前久など有力者のコネクションをつてに大型物件の契約にこぎつけた。いつの時代も人脈は大事であります。賄賂を要求されたら断り切れないという場面も出て来る。
 話を分かりやすくするためには人物を善悪に色分けしたほうが良い。本作では狩野派石田三成一派が悪役にされており、彼らが等伯の仕事の邪魔をする。肝心の腕前はどうか。まあ、五分五分と言えませうか。


等伯のひいき筋の一人に近衛前久(さきひさ)という公家がいる。珍しく文武両道をわきまえた、貴族らしからぬ「やり手」で政治にも裏で関わるが、本書では、あの「本能寺の変」のプロデューサーは彼だ、ということになっている。安土城にいた信長を京都へおびき出した張本人だそうであります。ほんまか?


戦国時代が終わり、秀吉が天下を支配して、とりあえず平和な時代になると、それまでは戦争のための施設であったお城が文化施設になる。武器や兵隊への投資が減った分、当然、財政にゆとりがでるので、大名たちは競って「カッコイイ」お城や客殿を作るようになり、これらのインテリアを受け持つ絵師たちはバブル景気に湧きます。大作、名作が次々生まれたこの時期が安土桃山時代であります。


腕前は等伯に迫るほど成長した息子の久蔵が狩野派の陰謀?で事故死するなど難儀はありますが、最後は秀吉ほか権力者の覚え目出度く、傑作の数々を残すことができた。
 ラストのクライマックスシーンは新築オープンセレモニーが開かれている伏見桃山城の大広間。どんちゃか大騒ぎのなかで等伯水墨画の「松林図」を披露する。これを見た秀吉や家康や諸々の大名たちはいたく感じ入ってたちまちざわめきは消え、寂として声なし・・の場面になるのでありました。


この場面はフィクションですが、等伯の最高傑作を持ち出すためのシチュエーションとしては良く出来ている。松林図が醸し出す余韻を小説の最後にも味わってもらおうというのが著者の魂胆でありませう。

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等伯に関する本を3冊借りて読みました。

「名画日本史」朝日新聞社 2010年発行
「ひらがな日本美術史」橋本治 1999年発行
長谷川等伯黒田泰三 2010年発行


いずれも図版の多い解説書です。
 文章で面白いのは「ひらがな・・」で、美術評論家ではない、作家の橋本治が既存の価値観にとらわれず、私見を自由に述べていることです。「松林図」でも長文の蘊蓄を述べているが、かの傑作を論ずるに「ジャズが聞こえてくるような感じの作品」だと。

122頁「松林図」からはブルースが聞こえる。幽玄とは、紙巻き煙草の煙と一つになる黄昏の暗がりである。そう言っておかしくないだけのモダンさが、この桃山時代の日本の水墨画にはある」(以下略)


日本の水墨画の最高傑作と評価される「松林図」しかし、皮肉にも、これは大名や貴族の注文で描いたのではなく、等伯が習作として気ままに描いただけの絵だろうと言われている。営業用ではなく、自分の趣味、手すさびで描いたにすぎない。それが、等伯の人生最高の傑作になろうとは・・。(2012年9月 日本経済新聞社発行)


日本の水墨画の最高傑作と評価される「松林図」屏風(東京国立博物館蔵)

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