赤塚不二夫「葉隠」を読む

 図書館のマンガコーナーで、何やら趣の変わった表紙が目についたので開けてみるとお馴染みの赤塚マンガ。表紙と中身、ぜんぜん違うので面くらいます。おまけに「葉隠」とは・・参りました。


武士の人生指南書みたいな「葉隠」と赤塚不二夫・・なんの関係あるねん、と思いますが、あとがきによると、赤塚センセイはこれをマンガで書きたくて十数年も構想を温めてきた。しかし、あまりのキャラクター違いなので躊躇していた。そこへ某出版社から声がかかり・・で、ようやく発行にこぎつけたそうであります。しかし・・なんで赤塚が葉隠やねん?という思いは読者の誰もが抱くでせう。


駄目男も昔にこの本(フツーの本)を読んだことがあり、もしや、三島由紀夫が割腹自殺した1970年頃だったかもしれない。三島自身「葉隠入門」という本を出していて、そこそこ売れたのではないかと思います。
 ・・にしても、クソまじめな内容、文体の「葉隠」をバカボンやニャロメも動員してマンガに置き換えるのはしんどいことで、赤塚センセイ、ありったけのギャグを駆使して笑いをとりながら、葉隠の言わんとする思想や教訓はアレンジせず、本来の意を伝えるようにしています。おかげで?駄目男も「そやそや、こんなこと書いてあったなあ」と思い出したところもありました。


内容に興味があっても、原著「葉隠」は難しくてぜんぜん読む気がしない。三島の「葉隠入門」でもあくび連発しそう、という向きには、この、要点のみピックアップしている赤塚版「葉隠」が役立ちそうです。しかし、昭和61年の発行だから、市場から消えてるかもしれません。借りた本も何百人の手を経て解体しそうなくらいくたびれていました。


「武士道とは死ぬことと見つけたり」がキャッチフレーズの本書は、要するに「覚悟と決断」に重きをおいて書かれた本であり、現代人はこれをビジネス社会にも敷衍して・・と、葉隠ソフトみたいな著書がたくさん出ています。赤塚版も自らのぐうたら、優柔不断を顧みつつ、ビジネスマンの「覚悟・意思決定」場面に役立てばという思いがあったのかもしれません。


それにしても、当時(昭和60年前後)注文殺到、寝る間もない多忙なマンガ家生活のなかで、よくぞこんなに手間のかかる作品を書いたものだと感心します。巻末には「私は文章もかけるのだ」と葉隠思想に関わるエッセーも載せており、そのマジメぶりにニヤリとさせられてしまいます。(昭和61年 ダイヤモンド社発行)

 

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