中村紘子「ピアニストだって冒険する」を読む

 Kさんから電話あり。「まちごうて同じ本を2冊買うてしまいましてん、一冊贈るので読んでくれますか」一体、どんなミスをすれば、こんな悔しい事態になるのか。事情はともかく、有り難く頂戴しました。何度も書くが、お酒、食料から書物まで、駄目男の暮らしは他人さまの授かりもので維持されているのであります。吉田兼好は「徒然草」のなかで、好きな人物とは「物をくれる人」なんて書いていますが、ホント、吉田サンは貧乏性の大先輩であります。


中村紘子は惜しくも72歳で亡くなったが、日本のピアニストの大御所でした。男女問わず、存在感の大きさにおいて、この人と肩を並べられる人はいない。本書が遺作になるなんて、何よりご本人が思っていなかったでせう。音楽ファンだけでなく、本のファンも多かった点でもエライと思います。ナントカいう本では大宅壮一賞をもらってます。


300頁にわたって、回想録、懐旧談が満載ですが、面白さでは「アルゼンチンまで潜りたい」や「ピアニストという蛮族がいる」に比べたらやや劣る。それに、このタイトルがピンとこない。
 話の中心はピアニストとしての生い立ちや内外のピアノコンクールのこと、当然、裏話がメインになるけど、ちょっと筆が滑ると個人批判になる。さりとて、平穏無難に書けばぜんぜん面白くないし・・難しいところです。幸い、といってはナンですが、登場する人物の多くが鬼籍に入っていて文句はいえないのが救いです。いや、ご自身も鬼籍に入ってしまって今ごろアチラ世界でブーイング多々、言い訳の毎日だったりして。


音楽論や業界の話は割愛。中村紘子のもう一つの才能はめちゃ多彩な人脈づくりでせう。それも、本人が積極的につくったというより、なりゆきで出来た人脈がほとんどです。本職では演奏とコンクールイベントで世界中に名を売り、本業以外でも、政治家、外交官、企業人、教育者、各界文化人、まことに間口が広い。世間にクラシック音楽ファンなんて少数なのに、実際、中村さんの演奏なんか聴いたことない人なのに「お友達」にしてしまう。生来の人徳に、もしや5%くらい「いちびり」センスも混じってるのではないか。


その多彩な人脈のハイエンドは誰か。皇太子殿下(今上天皇)であります。十数年前、親しい小和田夫人(雅子妃の母)と雑談しているなかで「殿下はまだ鉄板焼きというものを召し上がったことがない」と聞き、それならうちで、と自宅にお招きすることになった。(夫妻を招いたが、雅子妃は例の体調不良で欠席)当日は作曲家の団伊玖磨夫妻(故人)も招き、自宅マンションのダイニングルームでランチを楽しんだ。むろん、料理は中村サン入魂の手作り、殿下は大喜びで鉄板焼きを堪能されたそうだ。ま、皇太子や小和田夫人とメシ食いながら世間話できるという間柄がシモジモにはあり得ないのですが。(2017年 新潮社発行)