宮下奈都「羊と鋼の森」を読む

 ふだんは知らん顔してるベストセラーの本を読みました。2015年、書店員さんが投票で選ぶ「本屋大賞」を受賞した本です。しかし、読んでみれば実に地味な内容で、なんでこれが売れたのか分からない。購読した人の何割が満足してるでせうか。知りたいところです。


ストーリーは、北海道の田舎町で育った高校生が、ひょんなことからピアノの調律に興味をもち、先輩たちに指導されながらプロの調律師を目指す・・という話。200%ジミな話ではありませんか。


地味だからつまらない、というのではありません。現に自分が買ったのだから。ジミは承知で、だが、スグレモノかもしれないという期待があったから買った。書名の「羊と鋼の森」を見て、これはピアノの話だと気づいたし、過去にピアノの調律に関する本も読んでいたので、ためらわずに購入したけど、世間にピアノや調律に関心がある人なんて100人に一人いるかどうか。もしや、書店員さんには音楽ファンがすごく多いのか。それもないでせう。要するに「ウケる」理由が見つからない本です。


では、なぜ「大賞」を受賞したのか。こんなに売れるのか。ストーリーの魅力でなければ、文章力か。これですね。リアルを捨て、ファンタジーに徹して読者を惹きつけた。音楽に疎い人を惹きつけるには、リアルな音楽世界を描いては逆効果だと著者はしっかり認識したうえでこの本を書いた。ファンタジー物語にすれば、一部の音楽ファンには敬遠されるけど、大部分の「ファンタジーファン」に支持される。このほうがたくさん売れる。しかし、書店員さんはここまで考えたのでせうか。なんとも言えないなあ。


リアルから逃げてるな、と気づいたのは、いくら読み進んでも、有名なピアノ曲名や著名なピアニストやピアノのブランドが出てこないからでした。これらの「リアル」を全く登場させずにピアノの調律の話を進めて行くには「ファンタジー」で描くしかない。しかし、ピアノの調律という仕事はリアルそのもので、ごまかせない。だから文章力が必要なのであります。この矛盾を乗り越えて、全編ほんわかムードの物語に仕立てたのはエライと思います。(注)131ページに、唯一「リーゼンフーバー」というピアノブランドがでてくるが、これは架空で実在しない)


本書のラストはこういう文で終わる
242頁・・

 安心してよかったのだ。僕にはなにもなくても、美しいものも、音楽も、もともと世界に溶けている。
「ああそういえば」北川さんが口元を白いナプキンで拭う。
「外村君(主人公の青年)のところ、牧羊が盛んなのでしょう。それで思い出した。善いっていう字は羊から来てるんですって」「へえ」
「美しいっていう字も、羊から来てるって、こないだ読んだの」
少し考えながら、思い出すように話す。


「古代の中国では、羊が物事の基準だったそうなのよ。神への生け贄だったんだって。善いとか美しいとか、いつも事務所のみんなが執念深く追求してるものじゃない。羊だったんだなあと思ったら、そっか、最初からピアノの中にいたんだなって」
 ああ、そうか、はじめからあの黒くて艶々した大きな楽器の中に。目をやると、ちょうど和音(かずね=女子高生の名前)が新しい曲を弾き始めるところだった。美しく、善い、祝福の歌を。   ~完~


とても印象的なラストシーンです。最後の「羊」を語るフレーズで「本屋大賞」をゲットした、と言ってもよい。ピアノの中に羊がいて、その働きが人のココロを美や善にいざなう。これがファンタジーでないなら何と言うべきか。主人公が仕事をする場所が北海道の田舎町に設定してあるのも納得できるというものです。


調律のリアルで難解な話はさておき、本書で感銘を受けた人は、ピアノの美しい音をナマで聴きたくなるのではと思います。これがきっかけで演奏会に足を運ぶようになれば、新しい「美」と「善」の世界に触れることができる。購読者の百人に一人がピアノに魅せられたとして、日本中で五千人、一万人のファンが増える・・これって、ファンタジーで終わらせたくない。リアルに増えてほしい。


調べてみたら、本屋大賞作品で読んだのは、本書のほかに、小川洋子博士の愛した数式」と三浦しおん「舟を編む」の2作品。内容は本書に似て「ジミ系」に思えるけど、自分の好みかもしれない。それはともかく、全国の書店員さんが協力して本屋大賞という顕彰行事を発案し、継続していることは素晴らしい。オジンが草場の陰で応援します。(2015年9月 文藝春秋発行)

 

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