坂口安吾「狂人遺書」(大活字本)

 安吾の作品は「堕落論」など、小品を集めた文庫本一冊を読んだだけなので何十年ぶりの再会です。その前に坂口安吾の名前を知ってる人・・10人に一人くらいですか。著書を読んだことある人・・100人に一人くらいかなあ。


書名「狂人遺書」の狂人とは豊臣秀吉のこと。彼が苦労して天下を平定したあと、妄執に取り付かれて理性を失い、狂ってゆく様を描いた短編ですが、小説なのか、エッセイなのかわからない文体にもどかしさを覚えました。


天下を取って地方の大名たちを安堵させたら、次に自分は何をするべきか。第一目標は唐との貿易を復活させ、ゼニ儲けに励むことであります。地方からチマチマ搾取するより、己の甲斐性でドカドカ稼ぎ、大名たちを睥睨する。そのためには朝鮮を支配して唐までのルートづくりが必要なので、現場の指揮官として小西行長加藤清正を派遣する。これが秀吉の朝鮮征伐プロジェクトですが、ご存じのように失敗しました。行長や清正が無能だったのではなく、秀吉の無知無能が招いた敗戦です。


ところが、メランコリーな日々のなか大朗報出現、淀君に赤ちゃん誕生です。これが秀頼。もう自分には跡継ぎは出来ないと諦めていたからどんなに嬉しかったか。俄然、元気を取り戻したが、それもつかの間、難問も生まれた。その時点で秀吉は甥の秀次に関白の座を譲り、家督の相続も終えてしまっていた。秀頼を跡継ぎにできない。えらいこと、してしもうた・・と拙速を悔やんでも後の祭り。天下をとった秀吉、二つ目のドジでした。


秀吉、使いの者を出して秀次に「あの~、関白の座、返してくれへんか」と探りを入れましたが「身勝手もええ加減にしなはれ、アカン」の返事。当たり前ですよね。そもそも秀吉は秀次の性格が好きではなかったので、だんだん腹が立ち「オレのお陰でトップの座についたのに、この恩知らずめが」と敵愾心が募ってとうとう「返さへんなら腹切れ」と無茶ぶりもええとこです。
 周りのとりなしもあったけど、結局、秀次は切腹します。それでも秀吉の腹立ちは収まらず、秀次の一族や部下三十数人に死罪を言いつける。なんの恨みもない幼児まで皆殺しにした。これで秀吉の人望はガタ落ちになった。


信長、秀吉、家康、と戦国時代のトップスリーを比べると<人品骨柄>の点で秀吉は第三位・・ビリではないかと。もっとも、冷酷非情という点では三人共通しており、信長だって似たようなもんでせう。しかし、その当時(江戸時代のはじめとか)に庶民あいてに人気投票したら秀吉がトップかもしれない。いや、秀吉をやっつけた家康家康は秀吉憎しの延長で大坂に憎悪の念を持ち続けたわけでもないから案外人気は高かったかも、という気もします。


安吾のこの作品、中味は面白いけれど、文章が雑というか、もうちょっと推敲したらええのに、と思うところがあって・・損をしている。ご本人に「小説を書いてる」という意識がなかったのかもしれない。(1996年底本 角川文庫)