中島敦「李陵・山月記」を読む

 何十年ぶりかで再読。若い人にはほぼ無視されてる作家ですが、短編ながら中身の濃さでは凡百の作家、足下にも及ばずであります。重厚長大でなく、重厚短小で印象深い作品です。「山月記」はながらく教科書にも使われたそうだから「そう、人が虎になってしまって嘆く話ね」と思い出す方もおられるでせう。おさめられてるのは「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」の四作です。


名人伝」はたった10ページの小品です。邯鄲の都に住む男が天下一の弓の名人になろうと志を立てた。で、当代随一といわれる名人に入門した。最初の訓練を瞬きをしないこと。見えない一瞬が狙いを外してしまうからだ。何分も何時間も何日もカッと目を開いたまま過ごす。次は超絶視力の向上だ。極小のモノを見つめて極大に見えるようにする。肌着から虱(しらみ)を一匹取って、それを髪の毛で結わえ、窓辺に吊してじっと凝視する。毎日毎日ひたすら見つめる。何ヶ月も見続けると、虱が馬のように巨大に見えるようになった。的が大きく見えれば的中しやすい。


なんだか「白髪三千丈」式の誇大表現であります。こうして猛訓練を続け、とうとう師匠と並ぶ腕前になった。しかし、自分が目指すのは「天下一の名人」である。なので師匠がいては困るのだ。師匠を殺さねばならぬ・・。ある日、草原を一人で進んでるとき,向こうから師匠がこちらへ向かってるのを見つけて男は咄嗟に弓を番えた。しかし、師匠も気づいて弓を構えた。二人同時にビシュッ・・。なんせ名人のワザである。二本の矢が衝突して地面に落ちた。何回射ても同じことになった。師弟の殺し合いは引き分けで終わった。


師匠は、しかし、いずれ自分が殺されると不安になり、遙か遠方の山上に超名人にいることを教え、男を遠ざけた。男は何日も旅してついに超名人のいる山の頂についた。しかし、そこで見たのは百才を越えてるかと思うヨボヨボの爺さんだった。ガッカリした男は俺の実力を見よ、とたまたま上空を飛んでる渡り鳥めがけて連射した。しばらくすると五羽の鳥がぼたぼたと落ちてきた。


それを見た老人は「ま、一通りはできるんじゃの」と褒めたりしない。男は傷ついた。だったら、あんたの腕前を見せろ。老人は岩場のぐらぐら揺れる石のうえによろけながら立った。そして、見えない矢を見えない弓に番えてビシッと放つと、遙か高空から鳥が落ちてきた。最高の名人たるもの、弓矢など要らぬ、を見せつけられた。以後、九年間、男はこの老人に師事、精進した。
 ここまで10頁中の8頁を約1頁に要約しました。残り2ページも味わい深い文が綴られ、最後に残酷などんでん返しがあります。


「弟子」は孔子とその弟子「子路」の師弟愛を綴った物語、「李陵」は漢時代の武将、李陵が主人公ですが、「史記」の作者司馬遷が登場し、自分にはこの司馬遷の運命のほうが印象深い。誰しもが最善の人生を生きようとするのに運命がそれを許さない。四編ともシミジミ感十分の名作です。
 

中島敦がせめて夏目漱石とおなじくらいの歳まで生きていたら文豪の仲間入りできたかも知れない、と思うと本当に残念です。(33才没)しかし、本書(新潮文庫)の奥付を見ると、昭和44年発行、平成元年43刷、平成10年55刷と、一部のファンに細く長く愛読されてることがわかります。トータルでは100万部を越えてるでせう。文庫本ならコーヒー一杯分のお金で買える。生涯の愛読書10選に入れたい名作をぜひ・・。(昭和44年 新潮社発行)