◆恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む

 本の入手には「買う」と「借りる」のほかに「もらう」というありがたい方法があって、本書はMさんからのプレゼント。どて~んと、500頁、二段組のボリュウムにたじろぎましたが、読んでみれば、音楽好きには楽しい本でした。謝々。 


直木賞本屋大賞をダブル受賞した人気作。天才がひしめく国際ピアノコンクールを舞台にしたドラマで、クラシック音楽に興味がないと取りつく島がないという感じ。熱烈恩田ファンでなければ、途中で降りてしまう読者もいるかもしれない。直木賞受賞は理解できるけど、本屋大賞に選ばれた理由が奈辺にあるのかイマイチ分からない。


しかし、昨年の本屋大賞が宮下奈都さんの「羊と鋼の森」で、奇しくも二年連続でピアノが題材になった作品が選ばれた。もしや、書店員さんにはクラシック音楽ファンが多いのか。いや、う~ん、それはないだろう。偶然でせうね。


本の帯に「著者渾身、文句なしの傑作」とあるけど、本書を傑作と評価するには二つの見方があると思う。一つは一般的な小説ファンが登場人物の描写の巧みさに魅了された。もう一つは音楽ファンが、音楽を言葉で描写するワザの巧みさに感心した。駄目男の評価は後者になります。いやまあ、そこまで勝手に想像しまっか、と小説家ならではのイメージの豊かさに感心するわけです。


例えば、登場人物の一人、マサルが、自ら選んだリストのロ短調ソナタを練習するときは、ある架空のドラマをイメージする。北国の荒涼たる風景のなか、そこに何代も暮らし続けたある一族の骨肉の争いを思い浮かべる。ポーの「アッシャー家の崩壊」みたいな話?。これが延々10頁にわたって描かれるのだから500頁も要りますよ。


さらに、ピアノのおさらいを立派な屋敷のお掃除になぞらえて、床拭きからガラス磨きとチマチマ段取りが述べられるのであります。こんな文章、小説だから書けるのであって、音楽の解説書や評論では書けない。その道の専門家は勝手に話をつくったり、盛ったりできないのです。


登場人物の設定、描写では、登場者全員が天才なんてふつうに事実だから、それを並べても話にならない。そこで、風間塵という少年を狂言回しに登場させた。養蜂家の子供で、父に連れられて各地を転々とするので義務教育も受けていない、どころか、家にピアノもない。


当然、練習もできないのに、あるピアノの大家に目を付けられ、強引にコンクールに登場させた。もう一人、優秀ではあるが、限りなく普通人に近い所帯持ちのサラリーマンも登場させる。これらの天才、奇人、フツーの人がナンバーワンを争うことで、筋書きにメリハリをつける、という案配です。


数十頁読み進んだところで、もしやこの本は「浜松国際ピアノコンクール」をモデルに書いたのではないかと推察した。但し、自分は浜松に行ったことがない。けれど、ホールの構成や海に近いという環境から浜松がクサイ。読み終わってからネットでぐぐるとアタリでした。著者は計4回もこのコンクールにべったり張り付いて現場を詳しく掌握している。ホールの内装や雰囲気なんか想像だけでは書きにくいからねえ。


浜松国際ピアノコンクールの動画があったので見てみると、わわわ、本書に描かれたシーンがそっくり出てくるではありませんか。ヒャッホー、まる写しです。
 185ページ、第一次予選通過者が発表されるシーンです。「にわかにどよめきが起こり、歓声が上がった。二階から審査員たちがゆっくり階段を下りてくる。(略)国籍豊かな十数人もの審査員がぞろぞろとやってくるようすは圧巻である。(略)最前列に立っているのは審査委員長のオリガ・スルツカヤだ」オリガさんは小説での人物。実際の人物はピアノ界の大御所、海老彰子さんです。海老さんが、小説ではオリガさんになってる。そうだったのかと納得。


ピアノを知らない人はいないけど、ピアノの美しい音色を知っている人は少ない。中には、人間が弾いても、猫が踏んでも同じ音ではないかと思ってる人もいる。いへいへさうではありませぬ。本当に美しい音色を聴こうと思えば、ちゃんとしたホールで、名人の奏でる音を聴くに限ります。しかし、そんな面倒なことに時間とお金を費やす人は少数です。残念ながら。(2016年9月 幻冬舎発行)


著者が選んだ本選用協奏曲の一覧。常識的な選曲と思われます。
このうち自分が知ってる(主旋律を覚えてる)のは半分の13曲のみ。

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