書名を見て、なんか縁起わるう~~と思ったのは他人事ではないからです。で、著者の津野さんって何者と履歴を見たら、1938年生まれ(自分と1歳違いの寅年生まれ、自分は卯年生まれ)劇団「黒テント」の演出家、晶文社取締役、和光大学教授、同図書館長などを歴任とあります。84歳の読書大好き爺さん。だったら、こんな題名の本を書いてもおかしくないと納得しました。
しかし、目次をひらくと・・・
・わたしはもうじき読めなくなる・目のよわり
・記憶力のおとろえを笑う
・蔵書との別れ
・八十歳寸前の読書日記
・いつしか傘寿の読書日記
・硬い本はもう読めないよ
・・・オイオイ、自分が日頃切実に感じてること全部書いてるじゃありませんか。もしや、もう亡くなったのかとネットで人名を検索すると死亡情報はありませんでした。視力弱り、記憶力衰え、もはや硬い内容の本は読めない(読む気がしない)・・100%同感であります。
しみじみ気分でそれぞれの目次の本文を読むと、べつに泣き言ばかり書いてるわけではない。昔読んだ本の思い出や出版のいきさつや著作者との交友、エピソードなど、穏やかな文章でうめられています。マジメだけど、クソマジメな文体ではなく、ひょうきんな性分の人でもあるらしい。
~蔵書との別れ~・・94頁
作家や書評家がものすごい数の本を収集していることは読書ファンなら知っていますが、これにはワケがあります。彼らの大半は大正時代から昭和の終戦までくらいに生まれた人で、要するに「本に飢えた」経験がある人たちです。空襲で書物を失ったとか、終戦直後のひどい「本飢饉」を経験した反動で必死になって書物を集めた。今じゃ年間数万点といわれる書籍出版が終戦時(1945年)には658点まで激減した。作家だけでなく国民の大半が本(活字情報)に飢えた時代でした。下町に「貸本屋」があったこと覚えてる人は少し事情が思い出せるとおもいます。
さりとて蔵書が増えすぎるのも困ったことになる。なかでもモーレツにため込んだ例は、井上ひさし・14万冊、谷沢永一・13万冊、草森紳一・6,5万冊、渡部昇一 ・15万冊・・など、巷の図書館をしのぐ大収集家でした。司馬遼太郎の2万冊なんてショボイもんです。
収集、保存、処分で失敗を経験し、大きな精神的打撃を受けたのが紀田順一郎氏。3万冊のうち1万冊を遠方の田舎町へ移したけど、ワケありでリターンする羽目になった。そのときの肉体労働のきつさや失望感が大きく、結局、命の次に大切な大半の書物の「処分」に追い込まれ、自らも小さなマンション暮らしという逼塞生活に甘んじるしかなかった。いかに愛着がある本でも,手を離れたら、1kg10円の「ゴミ」になる。
こんな地獄を見た著者は心を鬼にして蔵書を減らす。嗚呼、それなのになんたる因業でありませう。「百歳までの読書術」なる本を出版したそうであります。ええ加減にしなはれ。(2018年 新潮社発行)
(注)終活をすすめて、dameo の蔵書は50冊くらい。日常のゴミ回収一~二回で処分できる量です。一部は「まちライブラリー@もりのみや」に寄贈しています。寄贈された古本だけで運営する当館は約2万冊の蔵書があります。