小松成美「さらば勘九郎」 ~十八代目中村勘三郎襲名~

 本書の発行は2005年。この年に勘九郎は十八代目勘三郎を襲名し、華やかに襲名披露興行を行った。しかし、そのわずか7年後、~さらば勘三郎~という酷いことになるとは・・・。著者も世間の歌舞伎ファンにも、まさかのまさか、平成時代で一番悲しい人気役者喪失事案になった。自分の想像でいえば、ファンの多くは勘三郎より勘九郎を失った哀しみのほうが大きいように思う。(57歳没 死因は食道ガン発症に基づく急性呼吸窮迫症候群)


自分が勘九郎にホレたのは松竹シネマ歌舞伎で「野田版 研辰の討たれ」を観てから。伝統の舞台をここまでぶっ壊していいのか、と驚く斬新なアイデアと超高速な舞台進行、それに合わせた猛烈な早口セリフの面白さにはまってしまった。
 2012年、即ち、勘三郎の亡くなる年に大阪松竹座市川染五郎が「研辰」
をやったので出かけた。観客はどうしても勘九郎勘三郎)の研辰と見比べてしまうから染五郎はもう必死のパッチの大熱演。おかげでやんやの大喝采をあびて染五郎もお客もホッ・・としたものです。


もう一つの傑作は「夏祭浪花鑑」これは平成中村座の興行で演出は串田和美。通常の舞台では「親殺し」の場面もある陰惨な悲劇ですが、これがトンデモ演出で親会社の松竹のエライさんが観たら「ふざけるのもええ加減にしろ」と立腹必定。おまけに歌舞伎に関係のない俳優を重要キャストに選んだので悶着起きないほうがおかしい。そこんとこ、どうして丸く収めたのか、不思議です。


この芝居をニューヨークのリンカーンセンターに持ち込んで広場に木造の歌舞伎小屋を建て公演した。江戸時代の芝居なのにラストシーンではニューヨーク警察のポリスが勘九郎をタイホする場面になり<カブキ>を観にきたつもりのニューヨーカーは仰天した。(下の動画参照)
https://www.youtube.com/watch?v=-pfoJuYLlRY


この作品も松竹座で公演されたので出かけた。やはりラストはポリスが・・。この本は著者と勘九郎の家族を含めての密着形取材によって記録、構成している。プライバシーもろ見えの場面が多々あったはずで一般市民ではありえない取材だった。なんとかまるく進められたのは勘九郎が酒好きで常にほんわかした時間をつくったからではと想像する。役者では断然広い交友も取材の垣根を低くしたと思う。それにしても本書「さらば勘九郎」のわずか7年後に「さらば勘三郎」の日がやってくるなんて・・。(2005年 幻冬舎発行)