勝海舟「氷川清話」を読む

   明治維新を成し遂げた偉人の一人として、この人の名を知らない人はいないのでありますが、その割には、ヒーローとして小説や映画の主役になることが少ない。坂本龍馬西郷隆盛に比べると人気の低さは明瞭です。なんでだろー?

 dameoが考えても答えなど出ないけど、あまりに多くの仕事をやり過ぎて日本国の陰のゼネラルマネージャーみたいな存在になり、人物像の輪郭がキリっとしないからではないか。この道一筋的な生き方が好まれる日本においてはちょっと損な役回りだったかも知れません。


この本は勝海舟が著したのではなく、最晩年に東京、氷川の邸宅で近隣の勝ファン?を招いて自由に語った懐旧談を別の人が文章化したもの。 従って、話の中身もあちこち飛んで最初は戸惑うけど、おいおい慣れてきます。そして読み終わったら、彼の器量の大きさに感心すること保証します。幕末にこの男がいなかったら日本はどうなってたやら・・と思うくらいです。


 彼だけでなく、混乱する社会にあって「この国をなんとかせねば」の思いに駆られた多くの男がいた。内輪モメもひどかったけど、数十年でなんとか国家の体制づくりに成功した。彼らがいなければ、日本は欧米の植民地になっていたでせう。残念なことに、お隣の中国や朝鮮にはこのような「国を思う人」が皆無だった。民度の低さが国家のガードを下げてしまった(諸外国の支配を許した)一番の理由です。


勝海舟は、出自はペーペーだし、生涯において強い権力を握る立場に立ったことは一度もない。海軍の創立の責任者としての役目も、今でいえばせいぜい部長か課長クラスのポジションです。そんな男が維新を経て「新生日本」の舵取り役を担ったのだから本当に不思議な気がします。中でも本書で語られる「江戸城無血開城」の場面は現代の政治システムではあり得ない個人プレイです。(勝海舟はグループを作って、チームワークで事を成すというタイプでは無い)


勝と西郷隆盛は敵同士みたいな関係でありますが、お互いに相手を「どえらい肝っ玉をもつ男」と尊敬していたので、この国家の命運をかけた大仕事をほとんど「あうんの呼吸」で決してしまった。部長クラス同士の話し合いで東西日本の内戦を防いだことになります。もし、政治のセオリー通り、トップ同士の会談なら、権威やメンツが邪魔して引くに引けず、戦争になった可能性が高い。


無血開城は成功したが大難儀がある。ン万人という大名や家来の処遇をどうするか、そもそも屋敷、住宅を明け渡したら、どこで住むのか。勝海舟は「そこまで面倒みれまへん」と知らん顔もできたのですが、実際はほうっておけず、賃貸住宅斡旋の不動産屋のようにあちこちかけずり回って住まいの確保に奔走します。いちばん多くの物件を斡旋したのが自身の住まいがあった駿河静岡県)でした。


なんとか江戸が火の海になるのは免れたが、幕府の消滅した江戸はどうなるのか。どうすればいいのか、勝海舟の悩みは消えません。本書282頁の文を引用すると・・・


この江戸の市中のことは、おれはかねて精密に調べておいたのだが、当時の人口はざっと百五十万ばかりあった。そのうち、徳川氏から扶持をもらっておった者はもちろん、諸大名の屋敷へ出入りする職人や商人などは皆、直接、間接に幕府のおかげで食うていたのだから、幕府の瓦解でこんな人たちはたちまち暮らしが立たなくなる道理だ。


全体、江戸は大坂などと違って商売が盛んなのでもなく、物産が豊かなのでもなく、ただ政治の中心というので人が多く集まるから繁盛していたばかりなのだ。それゆえに幕府が倒れるとこうなることは知れきっていたことさ。


ついては、この人たちに何か新たに職業を与えなければならないのだが、なにしろ百五十万という多数の人民が食うだけの仕事というものは容易に得られない。そこで、おれはこの事情を詳しく大久保利通に話したら、さすがは大久保だ。それでは断然「遷都」のことに決しようと、こう言った。すなわち、これが今日東京繁盛の元だ。(引用終わり)


人民に仕事を与えねば・・不動産屋の次はハローワークの所長であります。東京遷都の実現は勝海舟大久保利通の企画でありました。これもすごい仕事ではありませんか。オリンピック招致なんてセコイ話でおます。


封建制度の中で育ったのに合理主義者。一方で、同じくらい中身の濃い精神論者でもある。権威に媚びない姿勢はヨシとしても、そのために二度、三度禁門、蟄居を命じられる羽目にもあった。そのヒマな時間に万巻の書をひもといて教養を磨いた。しかし、物知りで終わる学者人生をけなし、街なかをうろうろして庶民の暮らしを観察、ときに、取り締まりで困窮しているヤクザにこっそり金を渡したりしている。これぞ「ヒマつぶしの達人」でありませう。(昭和47年 角川学芸出版発行)

 

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