永江朗「不良のための読書術」を読む

 「本を最後まで読むのはアホである」と過激な惹句で謳っていて著者は相当にアンチな人かと想像したが、読めば、中身は、ま、それほどではありません。読書のハウツーよりライター稼業は儲からない、なんとかせにゃ・・というもっと所帯じみた愚痴が並んでいます。実際、有名作家でない限り、著作物でメシを食うのは大変みたいです。


それはさておき、上記の「本を最後まで読むのはアホ」という提言?、余命いくらもないdameo  には良いヒントになりそう。一行も飛ばさず、最後まできっちり読んだら年間50冊のところ、飛ばし読みなら100冊以上読めるかもと思うと、これのほうがええじゃんと思ったりして。要するに、読書の質より量を是とする。そんなの、読書趣味の劣化でしかないと悪口いわれそうだけど、逆に、選んだ本全部が最後の一行まできっちり読むに値する良書とは限らない。


であれば、すべての本を義理堅く全ページ読むのでは無く、本のジャンルやクオリティによって100%完読、50%ズル読み、20%チラ読み、というあんばいで「読み分け」してもいいか、と思うのであります。社会問題を扱うドキュメントものは興味のないテーマが混じることもあり、義理で読むのは時間の無駄遣いになります。(なのに、全部読まねば、と思ってしまう)


本を選ぶとき、自分のクセとしてよくやることは、まず「あとがき」や「解説」に目を通して本当に読みたいか、そうでもないか、とアタリをつけます。特に、近現代の名作と言われる小説のばあい「解説」をアテにしている感が強い。自分にとっては、著者と無関係な人が書いた「解説」も大事な情報になるわけです。


そうはいっても永年にわたって染みついたクセは変えにくいかもしれない。しかし、そこんところ少し義理人情をおろそかにして間口を広げたい、と書けば、あんた今でも間口広げすぎやろ、と「正しい読書人」から文句いわれそうです。(1997年 筑摩書房発行)

 

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