仕事は<勉強>趣味も<勉強>・・立花隆の勉強人生

 4月30日の「Nスペ・立花隆の最後の旅」を見た。この日は立花隆の一周忌。永年、ドキュメント作品づくりで立花と付き合ったディレクターの目でみた「知の巨人」人物像の紹介であります。(当ブログ3月28日の記事で立花隆「僕はこんな本を読んできた」を紹介しています)


冒頭で意外な、立花センセがカリカリ怒ってる場面が出てくる。あの歴史的大スクープ「田中角栄の金脈研究」について「僕は腹が立ってしょうがなかった。あの記事作りのために凄い時間と労力を費やしてしまい、他のテーマの研究に着手できなかった。いい加減にしてくれよ、という思いだった」と言う。


世間からは大賞賛されたが立花センセにしたら余りに俗事、俗物の研究であり、本当は週刊誌(文春)に2,3回連載する程度のスケールにしたかったみたい。実際、これ以後、政治家の醜聞の<研究>など俗臭紛々の仕事はしなかった。一般人の目には「悪を滅ぼし、正義を貫く」告発と映っても、立花センセには「時間の無駄遣いを強いられた」仕事でしかなかったのか。う~~ん。


いや、もっと驚いたことがある。当ブログで紹介した私設図書館といえる「猫ビル」が空っぽになってることでした。ホンマか、これ!・・見事にガラ~~ン風景になっています。(下の写真)「終活ですがな」なんて言わなかったけど、こういう人は珍しい。このありさま、佐藤優センセが見たらどう思う?気になるけど、ま、そんなの人の好き好きで、と軽くいなすでせうね。


常識的にいえば、ご本人の死後は書物などの資料は出身大学や地元の街の図書館に寄贈したり、司馬遼太郎のように遺族が記念館をつくって公開するケースが普通ですが、それをしなかった。自分が死ねば、過去一切は無であり、次世代の人が立花隆の業績を研究するなんて全く余計なお世話ということでありませう。(注)書物は全部処分したが、自筆のレポートなどは捨てなかった。これが大きな段ボール箱で何十もある。


なんせ<仕事は勉強、趣味も勉強>というセンセであります。かなり以前に<臨死体験>がテーマの本を著していたけど、ある日、自分が膀胱癌にかかって医師に「立派なガン患者です」と宣告されると再び「死ぬと言うことはどういうことなのか」を勉強したくなった。まず、ガンはどうしてできるのかの研究に取り組み、最新の知見を得るために欧州の研究所まで出かけて勉強する。
 フツーの人は「治療」が最優先であるところ、センセは「ガン細胞の生成」を知りたいのであります。そして現在の先端をゆく知識を学んで「そうか」と納得する。コレで自分が死ぬ、というのは二番目の問題であります。オイオイ。


立花センセのような「知の巨人」が本棚を空っぽにすると単純に変人の発想とは言いにくい。むしろ、逆に立花センセ独自の哲学の実践かもと理解、または想像します。死に臨んでは葬式や戒名など一切不要と言い残し、遺族はその通りにした。遺骨はあるところの古木の下に、おそらく無名で埋葬された。一切は無でヨシ。
(2022・04・30 22:00 NHKスペシャル


猫ビル全館の本棚が空っぽにされた。


同じアングルで撮影した在りし日の本棚