一関開治著「記憶が消えていく」                  ~アルツハイマー病患者が自ら語る~ を読む 

   自分はアルツハイマー病なんかにならないと自信をもって言える人は一人もいないはず。なる、ならないは、ほとんど運の良し悪しで決まるといってもいいくらい、予測しがたい。ならば、怖がるだけより、実態を知って予備知識とし、自分自身、また身内や友人が患ったときの心構えとして、ささやかながら学習をしておこう・・。本書は患者自らが語ることで啓蒙とサポートを促す、切ないレポートです。


著者、一関さんは53歳で発病した若年性アルツハイマー患者。こういう例は極めて珍しいというのではないけれど、彼の職業が北海道は北竜町の現役町長だったということで、個人の病気云々では済ませられなかった。町中が「えらいこっちゃ」状態になる。役場の職員、町会議員はもちろん、住民みんなが「町長がアルツハイマー? 信じられへん!」というほど、それまでの町長は仕事熱心で、生来の性格から敵をつくらず,付き合い好きで、腰が低くてみんなに好かれていた。要するに、住民の信頼が厚い有能な町長だった。


それが・・最初は誰でもやらかす小さな思い違い、物忘れではじまり、過労からくるストレスのせいだろうと思って二三日休養すると、ちゃんと正常にもどった。しかし、また同じようなミス、トンチンカンを繰り返す。町の施政方針演説で文章を何行も飛ばして読む、同じ文を二度読む、などのミスでおかしいと気づく人が出てきた。ある日、町民の葬儀があり、恒例で町長自身香典を持参するに、香奠袋に自分の名前を横書きにしているのを妻が見つけ、ゾッとする。なので病院へ無理やり連れて行き、診断してもらったら「若年性アルツハイマーに間違いありません」と告げられた。


 妻は直ちに町長辞任を夫に迫るが、当人は「大丈夫、仕事はできる」という気持ちがあるから決断させるのに難儀した。ようやく辞任を決め、自宅に役場の幹部や町の有力者を集めて妻が辞任を告げた。あらかた予想された事態だったが、参加した者はみんな泣いた。


大事なことは、公の場で辞任理由を「体調不良」とかでなく「アルツハイマー病」とはっきり明かしたこと。町長という立場から、これを言うには相当の勇気が要る。常識的には体調不良のほうが言いやすい。しかし、敢えて隠さなかった。逆に、これで以後の精神的負担、苦悩は大きく軽減される。長年にわたってヘンな憶測、うわさで悩まされることがない。本書の啓蒙の要は「隠さずにアルツハイマー病と名乗る」ことにある。


このことは北海道新聞の記事になった。ネガティブな報道ではなく、むしろ本人や家族の姿勢が評価され、話がふくらんでテレビ東京がドキュメンタリー番組の取材に来たりした。一時、鬱病に陥った妻も健康を回復した。町民全員が彼の病名を知ることで、引退後、町内の散歩などではだれかれ無く挨拶を交わしてくれ、お茶でもどうぞと気遣いをしてくれる。もし、なにかあれば、すぐ家族に連絡するという気配りまでしてくれる。「体調不良」とかで家に引きこもってるのとは天地の違いである。もちろん、それは難儀な病気のせいだけではなく、町長時代に誰からも好感をもたれていたためでもあるが。


書名に~アルツハイマー患者自ら語る~とあるけど、本人の述べた言葉はわずかしかない。症状は中期で、話はできるが文字を書くことはできない。話し言葉ボキャブラリーが貧しくなり、難しい言い回しなどできない。悪くいえば幼児化しつつある。それでも気持ちは十分伝わる。文を読む限り、この先への不安や恐怖感は感じられないけど、実際はどうなのだろう。


時系列でつながっていた記憶がプツン、プツンと切れはじめ、自分の生きてきた道筋が少しずつ闇のなかに消えてゆく。しかし、なにもかも無になるのではなく、なつかしいこと、楽しかったことの記憶はまだ残り、一関開治という人格も健在である。この時点では・・・。


記憶は消えてしまうかもしれない。けれど、今まで生きて来たという事実は決して消えない。妻や息子や、町の人々の心のなかで生き続ける。本人の記憶だけが生きた証しではないはずだ。本書で彼の語った最後の言葉は「妻は私の心の中で生きていると思う」だった。(2005年10月 二見書房発行)

 

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