小山清「小さな町」を読む

 図書館の書棚で小説を物色するとき、何をたよりに本を選ぶか。ふつうは著者や作品の知名度ではないでせうか。特に著者についてはほとんどが「知ってる名前」を優先して手に取るのではと思います。


前回に図書館を訪れたときは何故か「全然知らない作家の小説を読んでみよう」というアイデアが閃き、この本を借りました。小山清・・知らない名前です。 で、なにげに開いたページに記された短編のタイトルが「をぢさんの話」。
 「おじさん」と「をぢさん」のニュアンスの違いがわかる最後の世代と勝手に思ってる自分の好みにぴったりのタイトルです。読んでみれば、下町の貧乏暮らしの日々を描いた、なんということもない作品でした。


作品を読んでから「小山清」で検索してみた。ちょっと驚きました。

|候補| 第26回芥川賞(昭和26年/1951年下期)「安い頭」
|候補| 第27回芥川賞(昭和27年/1952年上期)「小さな町」
|候補| 第30回芥川賞(昭和28年/1953年下期)「をぢさんの話」
|候補| 第1回新潮社文学賞(昭和29年/1954年)『小さな町』
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今回読んだ「小さな町」と「をぢさんの話」いずれも芥川賞の候補になった作品でした。無名作家ではありませんでした。才能を認める人がいるから平成の時代になってもこの本が発行されたわけです。だからといって、世間で小山清作品を再評価しようという風潮が生まれたというものでもない。


当時の芥川賞選考会議での選考委員の発言が一言ふうに残っている。第26回の選考会議での川端康成(当時52歳)の言葉が印象深い。
「長年、特色のある作家だが、一隅の存在という感じがする。」


そういう見方をするのか・・これぞプロの発想だと思いました。著者自身の職業であった新聞配達人という生業とまわりに蠢く下層市民の日常をちまちまと描く。それ自体は悪くないけど、これに拘泥しすぎて同じパターンの作品を続けてしまった。そんな世界から脱皮できなかった。この仕事ぶりを川端康成はマイナスに捉えて「一隅の存在」と評した。他にも宇野浩二は「発想がワンパターン」だと批判している。


巻末の堀江敏幸の解説文を読んでびっくりした。文学青年、小山清島崎藤村の紹介を得て日本ペンクラブで書記の仕事に就いたが、そこで公金を使い込み、八ヶ月の刑務所暮らしをしたと。ええ~~!ホンマかいな、であります。さらに驚いたのは、そんな犯罪者になる前、十代のときにカトリックの洗礼を受けていたと書いてある。作品を読んだ感想とリアルな小山清の人物像が乖離して脳内はワヤワヤであります。文学人生にMAX級の汚点を残してなお文学にしがみついた著者をどう評価すれば良いのか。無名作家を選んだのに自分のメモリーには忘れ得ぬ作家としてインプットされてしまいました。(2006年みすず書房発行)

 

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