小田嶋 隆「上を向いてアルコール」を読む

~「元アル中」コラムニストの告白~

 プロの物書きは何がトクかといえば、本書のように自分の人生途上での大失敗、大ミジメ経験でさえ錢もうけ(出版)のネタにできることでありませう。(無名素人が同じことやっても恥をさらすだけです)有名コラムニスト、小田嶋 隆が書くからアカの他人が読み、ゼニを稼げる。ええなあ、有名人は。


 ・・といいながら、小田嶋作品の何を読んだのか、と思い起こせば週刊誌のコラムばかりで単行本はこれが最初というあんばい。内容はアル中の初期から重症にいたるあれこれを綴っていて、症状自体は普遍的なアル中と変わらないのですが、本当はとても深刻な病気なのに小田嶋サンが書くとなんとなく軽い表現になるのですね。そのへんがいかにもコラムニストらしい。


 たとえば、酔っ払って「家の中のトイレでないところで小便した」なんて場面、想像するだに「うぎゃあ~」となるはずなのに、まず笑ってしまう。もし、自分がそんなことしたら自己嫌悪で死にたくなるかもしれない。少なくとも、絶対、他人には話したくない屈辱的経験です。なのに、こんなこともありましてん、となにげに書けてしまう。


 但し、と本人は少しいいわけをする。こんな話を書けるのは脱アル中から20年経ったからである。実は10年目ごろに体験記を書く企画があったけど、記憶が生々しすぎて書くのに怖じ気づいた。他人事みたいに書けるまでにもう10年必要だったと。なるほど、その通りかもしれません。年月の経過が自尊心や屈辱感を薄めてくれる。とはいえ、もし自分だったら書けるかというと、やっぱり書けませんね。生涯消えないトラウマになったと思います。


 医師に勧められて「断酒会」のような更正をはかる組織にも参加した。全員アル中が集まっての反省会?みたいなものですが、プロの物書きは自分のことより他人の人間観察が面白くて十人十色の経験談を聞くことができた。なかには本物のアル中でないのに「アル中」を装って参加する者もいた。彼の生き甲斐は「リアルなウソをつく」ことで、それを真に受けて聞く人を馬鹿にし、優越感に浸ることだ。この件を読んで「座間の9人殺人事件」を思い出した。


 世間の傾向として酒飲みの数は減っている。会社でも若者はつきあい酒を臆せず敬遠する。よって、アル中の数は減少傾向にある。しかし、酒に代わる新しい依存症が生まれた、と著者は警告する。「スマホ依存症」である。著者もふつうにスマホを使っているが、たまたま家にスマホを置き忘れて外出したときの心細さ、焦燥感は酒浸りの日に手元に酒がないときの気持ちと同じだという。


酒がないということは手元に酒瓶がないことで実感できるが、コミュニケーションが無いことはモノで実感できないぶん、依存症であることも感じにくい。ゆえに酒よりもっとタチの悪いのが「スマホ依存症」ではないか。この見解に同感します。


さらに「スマホの画面に集中している時間は自分自身の脳が働いていないという状態」なので、これが累積すれば「スマホ依存症」になる。しかし、この中毒はアル中で肝臓病になったようなわかりやすさがない。中毒を自覚できないぶん、より深刻な依存症と言えるでせう。


 小田嶋センセのアル中談義、最後の20頁で「アル中治ったらスマホ中毒」になったと正直に書いています。だったら、次の単行本は脱スマホ中毒のハウツー本ですね。(2018年 ミシマ社発行)

 

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