「相撲」江戸時代は女人禁制ではなかった

 著者、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)は江戸風俗研究の大家で膨大な文献を残したが、そのコンパクト版が稲垣史生編集の「江戸生活事典」。コンパクトといっても500頁に細かい文字がぎっしり詰まっているので読むのは大変であります。自らは明治生まれなのに、江戸の市井の細部を自分で見てきたかのように書く。現代でいえば、杉浦日向子さん(故人)のような「江戸のことなら何でも訊いてんか」の博学者でありました。


江戸時代の相撲についてもあれこれ書いていて、現代の相撲の原形は元禄時代に成立したと述べている。原形とは勧進相撲、すなわち「興行」としての相撲が世間に広まったとことをいう。勧進元(プロモーター)と力士と観客による興行で、現代と同じです。しかし、大事なことが違っている。興行する場所が国技館や体育館ではなく、神社やお寺の境内だった。浄瑠璃や歌舞伎は専門の芝居小屋を作って興行するが、相撲にはそんな発想がなく、神社、お寺で場所を借りるのが普通になった。そのベースになったのが深川八幡宮だそうです。


現代でも横綱明治神宮などで土俵入りのセレモニーを披露することがあるのはその流れでせう。神さまに奉納するから神事というイメージが浮かぶけど、本書には相撲が神事という要素をもつことは触れていない。基本的に芝居と同じように娯楽だった。少なくとも観客は娯楽として楽しんだ。興行期間は10日間が普通だった。


今問題になっている土俵への女人禁制、江戸時代は「女相撲」もあったから当時は禁制もナシだったが、いっとき大人気を博したことでかえって風俗上の問題が起き、結局、幕府によって禁止された。風俗のなにがダメだったのかは書いてない。女人禁制の風習は明治以後にできたことになります。


今どき女人禁制なんて時代錯誤も甚だしい。全部撤廃するべきという考えに賛成でありますが、たとえば、歌舞伎にこれを認めると歌舞伎のシステム自体が崩壊してしまうことになり、歌舞伎を見たことがない人は大方賛成するでせうが、少なくとも多数決で決めるものではない。歌舞伎を女性に開放せよ、と言う人は、当然、宝塚を男性に開放せよ、も言わなければならない。理屈と現実の乖離はなかなかに大きいのであります。

 

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