樋口一葉「にごりえ」を読む  ~新旧版読み比べ~

 今回は「にごりえ」を二回(二冊)読みました。昔に読んだ「新字体・旧かなづかい」版と、詩人、伊藤比呂美による現代語訳です。両方読んで、どちらが感銘深いかといえば、断然「新字体・旧かなづかい」版です。当たり前のことですが、現代語訳では明治の香り、時代感覚がぜんぜん味わえない。しかし、それは、駄目男のような戦前生まれの人間の感想で、単に懐旧趣味のせいだと言われそう。


読むなら、どなた様にも旧版をおすすめしますが、当然、読みにくい、分かりにくいことは覚悟しなければならない。なぜ分かりにくいのか。

・文章は句読点で区切らず、句点だけで区切っている。
・会話文にカギカッコ(「」)がない。
・主語がない。
・江戸・明治時代の語彙が多い。

 

当時はまだ現代のような「文章作法」が確立していなかったようで、江戸時代のスタイルで書くからややこしいのでせう。おまけに、底本は総ルビ(すべての漢字にルビを振ってある)だから、視覚的にもゴチャゴチャして煩わしい。


ほんの少しですが、旧文と現代文を比べてみます。
第五章の冒頭、旧文は・・

 誰れ白鬼とは名をつけし、無間地獄のそこはかとなく景色づくり、何処にもからくりのあるとも見えねど、逆さ落としの血の池、借金の針の山に追ひのぼすも手の物ときくに、寄ってお出でよと甘へる声も蛇食ふ雉子と恐ろしくなりぬ、(岩波ワイド文庫版 2003年 岩波書店発行)


同じ文を現代語にすると・・・
 女たちは白鬼と呼ばれている。だれがつけたかうまい名である。あの街はたしかに鬼でひしめく無間地獄を思わせる。たいしたしかけもないのに、女たちがたくみに男を血の池に引きずり込み、借金の針山に追い上げる。寄っておいでよと誘う声は甘く耳にひびくが、雉子が蛇をとって食うときも、あんな甘い声を出して蛇を誘うのを知っているか。(現代語訳 伊藤比呂美著 1996年 河出書房発行)


現代語はいささか無味乾燥というか、殺風景というか・・。でも、読みやすいと言う点では断然、勝ります。 「にごりえ」は明治時代の世間の底辺を生きる庶民の暮らしを描いた物語で、一葉自身、食うや食わずの極貧生活を体験しているから、貧乏の描写はリアルそのもの。特に、ヒロイン「お力」が自分の幼い時分の超貧乏暮らしぶりを語る場面は涙を誘う。森鴎外夏目漱石など「極貧」体験のない作家には決して書けない話です。物語ではなく、実体験で、こんなに貧乏をリアルに描いたのははじめてではないか。


樋口一葉が「にごりえ」や「たけくらべ」などの傑作を書いたのは、明治28~29年のわずか一年間。モーレツに書きまくり、わずか24歳で亡くなった。


樋口一葉の原稿

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