遠藤周作「海と毒薬」を読む   

  遠藤作品で一冊くらいはシリアスなものを読んでおこうという殊勝な心がけ?で手にした本がこれです。途中でやめようかなと思ったくらい陰々滅々の内容ですが、読み終わって世間を顧みれば、この本以上の残酷物語が現実に起きている。


戦争末期の1945年、福岡で米軍捕虜の生体解剖実験が行われた。このおぞましい事件を小説で描いたもので、実験場になった大學病院の教授の出世争いをからませて、命を救うのが使命の医者たちが、かくも冷淡、非情、無責任な人間になれるのかを描く。


メスを持った殺人者とその手下たちたちは、自分のポジションを守るためには良心も正義感も捨ててしまい、結果の恐ろしさにもがき苦しむこともない。それでも「やる前」は相当に良心の呵責があったのに「やった後」は精一杯、責任転嫁を考えたりする。しかし、心の傷は癒えない。絶対、他人には口外できない事件ゆえに、一人悶々と苦しむしかない。


著者はどうして勉強したのか、病室や手術室の描写が細かくて、麻酔の施術なんか「見てきたような」リアルさで書く。教授やスタッフの人間像の描き方も上手くて、簡潔な文章で個々の人物を描き分けた。人間は本質的にワルであり、教養や倫理もしょせん付け焼き刃に過ぎない。地味に、清く正しく暮らしてる
人だっていつ悪魔に変身するかもしれない。あのアウシュビッツの残酷物語の超ミニスケール版ともいえるけど、あれを考えるとママゴトみたいな事件でしかなかった。


何の恨みもない他人を趣味嗜好で殺す・・。無抵抗な我が子をいじめ殺す。精神病の娘を座敷牢に閉じ込めて衰退死させる。最近起きた事件でもし自分が裁判員に選ばれたら、加害者は全部「死刑にせよ」と言うかもしれない。神サマが見たら、そんな人間も悪魔でありませう。ともあれ、人間の原罪を問うという重いテーマは浅学駄目男には荷が重い。


 地味な作品なのに、文庫本で約50年のあいだに100刷というのは大変なロングセラーといえます。遠藤作品は「狐狸庵」ものしか読まなかった自分が恥ずかしい。(昭和35年 新潮文庫発行)

 

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