川端康成「古都」を読む

 よりどり100円均一の陳列台で見つけた古文庫本。ええトシして、今ごろこんな本読んでまんのか、と笑われそうですが、本自体もよれよれに古びていて何やらノスタルジーに浸りながら読みました。


巻末の解説で山本健一氏は本書を評して「・・そして作者は、美しいヒロインを、あるいはヒロイン姉妹を描こうとしたのか、京都の風物を描こうとしたのか、どちらが主でどちらが従なのか、実はよく分からないのだ。この美しい一卵性双生児の姉妹の交わりがたい運命を描くのに、京都の風土が必要だったのか。あるいは逆に、京都の風土、風物の引き立て役としてこの二人の姉妹はあるのか。私の考えではどちらかというと、後者のほうに傾いている」


山本氏は文学的価値よりは観光案内的価値のほうがやや高いと。川端文学ファンとしては納得しがたいかもしれませんが、こういう見方もある。dameo の見立ては「五分五分やと思います」です。たしかに、京都の年中行事、観光のことを説明しすぎたという印象は否めません。それは川端センセのサービス精神ゆえかもしれないが、読者はそこまで求めていないと思います。それより、ヒロインの切ない出会いと別れを主題にしてほしかった、と考える読者も多いでせう。


双子の姉妹の一人は北山杉の産地、清滝川沿いの小さな集落で「磨き丸太」をつくる仕事をしている、という設定になっていますが、dameo の若いころ、昭和50年代は読図の練習を兼ねてこの地域を何回も歩きました。なので、川端センセが説明する山村風景はリアルに想像できるのが楽しい。ハイキングファンなら、鷹峯~沢池~菩提滝~中川のコースを歩いた人もおられるでせう。小説では、ピンポイント的に場所や建物を特定することはありませんが、描写に間違いや不自然なところはなく、川端センセは何度も現地を訪ねて調査したと思われます。


小説なのに、著者は「あとがき」を書いている。本作は新聞の連載小説であったが、当時、睡眠剤の乱用で、精神、体調とも不安定だった。文章の乱れがあり、編集者を困らせたらしい。おまけに作中の会話はすべて京都弁で、これは手に負えないからその筋のプロに頼んだ。頼まれた人も大苦労したのではないか。(締めきりぎりぎりに原稿が届くので、しっかり、書き換え、校正する時間が無い)あとがき=言い訳であります。


京都の観光情報がやたら豊富で詳しいのは、1961年の執筆時、約1年間、上京区の民家を借りて暮らしたから。あれもこれも書きたい、紹介したいと思うのは仕方ないですね。(昭和43年 新潮社発行)

 

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