2013年・<北と南>ミュージアム巡りの旅(3)

<小樽散歩>
■ホテル ヴィブラント オタル
 旅のテーマはミュージアム巡りでありますが、最初に泊まったホテルが文化財とは知りませんでした。なんか古めかしいなと思ったら、昔の北海道拓殖銀行の小樽支店でした。 通称「拓銀」の名で親しまれたこの銀行、バブル崩壊の大波を受けて戦後初めての都市銀行の倒産というハデなコケ方をした。1997年といえば、山一証券とか大手金融会社がバタバタつぶれた時期です。

 

銀行がホテルに変身していた

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それはともかく、小樽経済発展の絶頂期にこのビルはでき、斜め向かいの日銀小樽支店とともに「北のウオール街」の象徴だった。銀行だから、ロビーや事務室の天井が高く、泊まった部屋も4mくらいの天井高があり、ロフトが設けてあって3人泊まれます。何よりカッコイイのは一階のロビー。写真のように高い柱列があって、フォーマルな雰囲気がある。


 館の説明によると、小説「蟹工船」で知られる小林多喜二は、地元の学校を出てここに勤めていたそうです。しかし、だんだん労働運動にのめり込み、結局クビになった。以後、常に警察にマークされ、29歳のとき捕まって拷問死。でも「蟹工船」は当時大ヒットし、一躍プロレタリア文学の旗手として有名人になった。どの分野でも、先駆者は辛い。


二階にある金庫室も客室に改装してあり、泊まれます。当然、窓はなく、ドアがこれでは、閉所恐怖症の人でなくても、ちょっとコワイ。

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無料の朝食はここで食べます。室料は朝食つきで5850円。

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■昔の栄華、いま何処・・「旧日本郵船小樽支店」へ
 大正硝子館とかヴェネチアなんとかはパス。海岸に近い通りに古い建物が残っていて、もう廃墟寸前という建物に風情があります。文化財指定されなかったものは朽ちるしかない。写生の好きな人にはとても魅力的なロケーションです。

 

おなじみの風景です。

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重要文化財日本郵船小樽支店の建物のリッチさには驚きます。あこぎな経営で日本一の船会社になった、その象徴的な建築と言えます。北海道の物流を牛耳るとともに、樺太関係の産業や利権でもガッポリと・・。
 二階の大きな会議室は、日露戦争後の国境画定に関する交渉会議の場になり、国境の線引きについての細かいやりとりが行われた。地図に線をひくのは簡単だけど、現地でのそれは難作業だったと思います。

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■童謡「赤い靴」の哀話はねつ造だったのか・・?
 日本郵船ビルの前の公園に、ひっそりとブロンズ像が建っています。野口雨情が作詞した有名な「赤い靴」をモチーフにしたものです。解説文には「幼いきみちゃんは、異人の養子になってアメリカへ渡り、二度と戻ってこなかった。彼女の両親はきみちゃんの無事を祈りつつ、小樽でひっそり暮らし、亡くなった。二人は市の中央墓地に眠っている」とあります。


そうだったのか。両親は小樽で暮らし、亡くなった。像は、親子の愛情や絆の大切さを知ってほしいという思いで、地元有志の浄財で作られた。納得。


これで落着すればよいものを、きみちゃんの両親にはどんな辛い事情があったのだろうと、何気なく「小樽 赤い靴」で検索すると仰天の情報が出てきたではありませんか。きみちゃんは「赤い靴」の歌詞よりもっと悲惨な、短い人生を強いられた。異人さんと渡米どころか、東京の孤児院で亡くなっていた。告発側の文を読めば、親子三人のブロンズ像は、親子の愛情ではなく、親の非情を伝えることになる。


・・と、書き出せばキリがないので、下のHPを開けて読んで下さい。
ただいま世間を騒がせている「慰安婦」ねつ造問題と同じことを「北海道テレビ」のプロデューサーがやった。歌詞の内容に合わせて作り話を仕立て、ドラマではなく、ドキュメンタリー番組として放送した。これで「赤い靴」の哀話は定説になってしまった。

Wikipediaでは、こういう解説になっている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9D%B4

 

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■鉄ちゃんには楽しい「小樽市立総合博物館」
 日本郵船ビルから数分のところに、昔の操車場を利用した鉄道中心の博物館があります。予算がないのか、いかにもショボイ展示で、本日は休館かと思ったくらい人影がない。 なんでこんな所にあるのかといえば、明治から昭和前期まで、小樽が北海道の物流基地だったから。古風にいえば「殷賑を極めた港町」でありました。金融と物流で大発展したのが小樽です。

 展示の目玉はアメリカ製の蒸気機関車。明治18年(1884)ごろから活躍したかわいらしいSL。よくぞ無事に残ったもんだと感心します。西部劇に出て来るSLは、大方このタイプでせう。

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なぜか大型の機関車がないのがさびしいけれど、ラッセル車ロータリー車といった北国ならではの車両と古いディーゼル車がたくさんあります。ただ、保存が悪くて、鉄道博物館というより、鉄道墓場みたいな雰囲気なのが残念です。一般の観光客の来場はほとんどなさそうです。

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明治時代の一等車。今では「トワイライト エクスプレス」か。

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<つづく>