創価学会を知る2冊の本 <その1>            島田裕己「民族化する創価学会」を読む

創価学会のことを全く知らない人はいないと思いますが、詳しく知ってる人も少ないと思います。実際はどんな宗教団体なのか、2冊の本で紹介します。

 中身ぎゅう詰めの本なので、簡潔にまとめるのが大変です。しかし、イメージでしか知らない創価学会の内側を知るには、手頃な解説書として役立ちます。基本的には批判的な立ち位置で書いてありますが、いわゆる糾弾、告発本ではありません。ここでは、誰もが興味をもつ問題のみピックアップしませう。


■心の問題を扱わない、不思議な宗教団体
 著者、島田裕己氏が、いちばん「?」とする点はコレです。宗教=こころ(精神)の問題、神や霊などを大切にする・・と思われていますが、創価学会には、お寺でいうところの住職や教会でいうところの牧師がいない。「祈り」のない宗教なのです。


本堂や教会もない。各地にある立派な会館にはホールがあるけど、祈りの対象にする祭壇がない。基本に日蓮宗の教義があるものの、全ての会員が毎日熱心に勤行(ごんぎょう)しているわけでもない。そもそも、聖職者といえるトップリーダーがいない。初代リーダーは教育者、二代目は実業家、三代目、現在の池田大作名誉会長も聖職者ではないでせう。単なる名誉職です。


■一番大事なのは「現世御利益」
 仏教では、宗派にかかわらず先祖供養といって、自分の先祖を大切に思い、祀るものですが、創価学会においては、一般仏教ほど、そのような先祖崇拝の考えがない。過去や未来を思い患うより、今生きている自分たちの幸せの追求を優先する。極論すれば、心の問題とか、スピリチュアルな、あいまいなことより、勝ったか、負けたか、のほうが分かりやすい。


その最大のテーマが「選挙」です。自分たちの努力の成果が勝ち負けでキッパリ出ます。教義などを表に出すと「政教分離」のルールに違反するから、なおさら現実主義者になる。公明党の議員は当然、創価学会信者だけど、集会などの選挙運動や投票呼びかけに信仰に関する話は一切できない。信仰(宗教)は邪魔もの扱いになる。


■意外に仲が悪い創価学会公明党
 著者がかなりのページをさいて説明しているのが、この問題。よそ者は、学会と公明党は一心同体のごとくのように思っているが、それはうわべのこと。むろん、犬猿の仲ではないけれど、お互い、批判や怨恨がわんさとあって内輪もめが多い。かつては、公明党の委員長などトップや幹部の醜聞をあぶり出して裁判沙汰になったことも度々あります。


■お金はいくらかかるのか
 会員が本部にお金を納めることを「財務」という。強制でも金額が決まってるわけでもないが、基本は年1万円。これを銀行振り込みで納入する。著者の推定では、会員の数は250~500万人としている。(学会では公称800万世帯)250万人が1万円ずつ納めると250億円。当然、これでは足りない。よって、聖教新聞公明新聞(党の機関誌)を発行し、民音でのチケット販売、各種美術展開催による収入ももくろむ。名誉会長の著作本「新・人間革命」などの売り上げもある。


聖教新聞の発行は500万部超とされる。(事実とすれば、読売新聞に次いで日本で二番目の部数になる)一ヶ月の購読料は2000円。なんやかんやで、一世帯平均、年間10万円くらい費やしてるのでは、というのが著者の推定。
 これは dameo の知識だけど、聖教新聞のかなりの部数は毎日新聞の印刷工場で刷っている。毎日にとって創価学会は良いお得意さまである。よって、毎日新聞公明党創価学会を批判する記事は書けない。(言論、報道の自由を自ら放棄している)


■あのハービー・ハンコックも信者に
 アメリカのジャズピアニスト、ハービー・ハンコックがSGI(創価学会インターナショナル)の会員である。彼を「折伏(しゃくぶく)」したのが、ウエイン・ショーター。これは知りませんでした。SGI活動の成果の一つといえる。しかし、別のユダヤ系ジャズメン某も入信し、亡くなったとき、葬儀はユダヤ式で行われ、しこりを残した。SGIの問題点かもしれない。


創価学会どこへ向かうのか
 本書の副題 ~ユダヤ人の来た道をたどる人々~ とは、創価学会のポジションの難しさを危惧してのサブタイトルであります。まず、次期会長を誰が担うのかという問題がある。聖職者でなくてもカリスマ性は必要だが、そんな人材はいない。創価大学でエリートを育て、その中から・・という考えもあるが、遅きに過ぎたというか、人材は育っていない。


 昔のような荒っぽい折伏(布教活動)はできない今、信者数を維持するには、親から子へ、子から孫へと世代系列で受け継いでいくのがベターであるけれど、初代の熱心さ、活動力が引き継がれていくかどうか心許ないところがある。勤行より、選挙活動や文化活動に熱心な信者が増えたら、そもそも宗教団体と言えるのかという疑問も持たれる。


 著者が案ずるところは、宗教団体なのに、結束力や政治力を駆使して一定の影響力を持ちつつ、社会からは浮いた存在の巨大集団になってしまうのでは、ということです。大きな潜在力を持ちながら、世上明快に顕在することはないユダヤ人のように。(2008年11月 講談社発行) 次回は「変貌する創価学会」を紹介します。

 

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