渡辺 保「勧進帳 ~日本人論の原像~」を読む

 この本、もっと早く読んでおけば良かった・・と後悔しました。勧進帳の舞台をうかうかと見ていたからであります。このシンプルな物語の成立と百数十年にわたって切磋琢磨してきた役者の苦労物語を知らずに見物してしまったのは残念至極。


と、後悔しても仕方ない。それはさておき、物語を全十九段に分けて、あーだこーだと細かく説明してあり「そうだったのか」と合点すること多い。よくぞここまで細かく詮索、いや分析したものだと感心します。
 しかし、勧進帳の舞台を見たことがない人には興味のない話なので、ここでは本書の最後にある、勧進帳にみる日本人論だけ紹介しておきます。(本書が発行された1990年頃は日本人論の本がたくさん出た)


著者は勧進帳の主役三人、即ち、弁慶を「一匹狼の自営業者」富樫を「典型的な官僚」そして義経を「落魄のサラリーマン」と見立てて持論を述べています。なるほど、これはわかりやすい。義経が他の二人に比べてみじめな境遇に例えられてることに少々違和感を覚える人もあるでせうが、舞台上でもその通りで、それゆえに観客は義経に同情や哀れみの情を催します。戦場でのヒーローぶり、女にモテモテの義経像にほど遠い姿です。


 著者はこのさまを「組織のルールを守れない、組織の中で人を動かせない無能人間」とえらく辛口に評しています。兄の頼朝から追討命令を出されたのも、幕府の組織上のルールを無視したから当然だと言います。


主役三人の人間像をこんなふうに見立てるだけでも面白い。「貴種流離譚」という言葉があるけど、名門の出で高潔な人格の持ち主であっても運命に逆らえず、漂泊の人生を送ることで、それでも最後がハッピーエンドならいいが、義経の場合は逃げ回った果てに殺されてしまう(自害する)のだから、幾分かは自己責任とはいえ、哀れをさそう。

 

 そんな義経像を歌舞伎の舞台でどう表現するか。演技から衣装、小道具まで長い年月をかけて工夫が加えられ、今の義経スタイルがある。勧進帳は弁慶ばかりが目立つけど、それは富樫や義経のサポートあってのこと、この二人の影が薄いと弁慶も生きてこない。


著者によれば、現在の弁慶像を苦労の上に確立させたのは九代目団十郎だと。その成果が認められて明治天皇の前で演じる「天覧」の光栄に浴している。緊張で震えが止まらなかったそうだ。
 天保11年(1840年)から始まった勧進帳は、もう何千回も上演されて洗練の極みに到達しているのかもしれないが、定番になりすぎて駄目男のようにうかうかと見てしまう人も多いはず。本書は初心者にも経験積んだファンにも、ユニークなテキストになります。(1995年 筑摩書房発行)


■子供歌舞伎の勧進帳舞台 手前が義経

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