井上理津子「さいごの色街 飛田」を読む

 飛田新地の南奥「鯛よし百番」でメシを食べたことのある人は、往復の道すがら異様な光景を見て「ひえ~、えらいとこやなあ」と、見てはならぬものを見てしまったという気分になる。もう、とっくの昔に絶えたはずの色街の風景がゾンビのように蘇り・・いや、連綿と続いてるだけなんだけど・・。とにかく、これだけ堂々と売春ビジネスをやってるのは、日本中でこの飛田だけだそうであります。堂々と営業している証拠に、町内には交番所がある。なにをか言わんや、であります。


本書は大阪のおばちゃんルポライター、井上理津子さんが実に12年の歳月をかけて、必死のパッチで飛田のリアル世界に突撃した奮闘記であります。女子禁制の色街になんでおばちゃんが?・・これはもうライターの性というしかない。しかし、もし男のライターだったら暴力沙汰は免れなかったかも、と思えるヤバイ取材の連続だ。
 だからといって、おばちゃんが正義感や人権意識をモロにだしてワルを糾弾するといった感じの本でもない。「直ちに廃止せよ」なんて文言は一度も出てこない。結局、執筆動機は、人間の人間に対する果てしない興味のなせる業としか思えない。


はじめて知ったが、新地内の通りには愛称があって、北よりの通りから「青春通り」「かわい子ちゃん通り」「年増通り」「妖怪通り」「年金通り」となっていて、おねえさんたちが年代別に棲み分け、顧客にも分かりやすくなっている。ということは「鯛よし百番」のある通りは「妖怪」または「年金」通りなのか。ただし、当地では、顧客が80歳のじいさんでも呼びかけは「兄ちゃん」であり、おねえさんは60歳代でも「おねえさん」逆に、曳き子は50歳でも「おばさん」という呼称が決まりになっている。
 ある日、著者は「え?ナニコレ!」という場面を目撃する。●●苑と書いた老人ホームのマイクロバスが到着し、ジャージー姿、よろよろ歩きのじいさんたちが店へ吸い込まれたのである。西成界隈では生活保護費をパチンコに使うことが非難されているが、買春に使ってる可能性も当然ある。


飛田新地が事件を起こして世間に知られることが無いのは、伝統の明朗会計システムのためだと言われる。相場は30分コースで21000円。このうち1000円は消費税というのが笑わせる。しかし、冗談でもイチビリでもなく、業態のタテマエは「料亭」なのだ。だから消費税は正当に請求できると。これは標準価格で、マルビの顧客のためには15分で1万円というコースもある。15分や30分で酒なんか飲んでる時間あるわけないから、160軒もの「料亭」があるのに、酒の売り上げはさっぱり・・というのが地元酒屋さんの嘆きであります。


売り上げの配分はどうなのか。飛田では、経営者4、おねえさん5,曳き手おばさん1が普通らしい。一日に3人の客をとれば、おねえさんの収入は3万円になるが、これは表向き、実際はいろんな名目の「経費」でさっ引かれる。おねえさんの多くはモロモロの事情で「前借」のある身なので、稼ぐことイコール借金の返済でしかない。一度この世界に落ちたら抜け出せないのは、おねえさんたちの無知、無教養と経営者のずる賢さのせいだと言ってもよい・・と書けば、みんなワル揃いのように思えるが、なかには救済の姿勢で雇う人もいるから複雑である。


著者が一番関心があったのは、おねえさんたちの身上である。しかし、取材に応じてくれる人はいない。100%暗い過去を背負って、世を忍んで生きてる女性ばかりだから仕方ない。しかし、そこをなんとか・・とアプローチに努力し、数人おねえさんと経営者から話を聞くことができた。これに執着して12年を要したのかもしれない。最後に出て来る岡山の女性はわずか150万円の借金のために飛田へ売られた。彼女を「買った」女性経営者の人生観がすさまじい。まるで鬼である。裏社会で辛酸をなめ尽くし、飛田社会でのシノギを極めたような、えげつないオバチャンだが、99%鬼なのに、1%は彼女を救うのは自分しかいないという仏心が湧いて、鬼オバチャンにも葛藤が起きる。


・・というあんばいで、12年を費やした取材のあれこれが300頁に詰まっている。これがヤミ社会告発の本だったらメディアでも話題になったかもしれないが、あくまでもルポとして書いたというのが著者の姿勢であります。飛田ビジネス同様に、著者も「あうんの呼吸」でこの社会を見ている。よって、今日も飛田は平穏にアウトロービジネスで稼いでいるのであります。(2011年10月 筑摩書房発行)