読書感想文

清少納言枕草子」を読む

 ハズカシながら、あの世が近づいて初めて読みました。いや、ほんとうは、読んだ、なんてエラソーこと言えず、肝心の原文は飛ばし読み状態。原文を読んでの理解度は二割くらいでせうか。ほとんどチンプンカンプンであります。しかし、幸いなことに解説書はいっぱいあるので、今回は、大伴茫人著「枕草子」と藤本宗利著「枕草子をどうぞ」の二冊を図書館で借りました。


理解度はともかく「枕草子」を読んだ人は、みんな清少納言中宮藤原定子(ていし)」の大ファンになってしまうのではないか。定子は清少納言が仕えた后ですが、いかほどの美貌と才知に恵まれた女性であったか、あれこれ空想しない男はいますまい。現代の女優さんたちに当てはめれば誰がピッタリか。う~ん、半世紀前の久我美子くらいしか浮かばない。(ふる~~~~)


読んだ二冊の本は、著者の清少納言への思い入れがすごくて、二人とも古典文学を解説するというより、ほとんど「オタク」感覚で清少納言をヨイショしている。でも、読む側はこのほうが楽しい。古語を一つずつ説明するようなマジメ本なら、とても最後まで読む気にならないでせう。
 ・・にしても、清少納言の人物像がイマイチわかりにくい。そこで、困ったときのセイゴー頼みで、また「松岡正剛の千夜千冊」を開けて虎の巻代わりにする。ふむふむ、なるほど、上手に書くなあと感心する評論です。


内容の解説など、とても自分にはできないが、宮廷生活のワンシーンをアバウトに紹介しませう。藤本宗利氏の現代語文を駄目男流にほぐして書きます。

 

第百四段から

 花咲き鳥謳う新緑のある日、清少納言中宮「定子」に、あの~、今日は郊外へピクニックに行きたいのですが、と願い出ます。定子は「いいですよ、その代わり、行く先で歌を詠んで来なさい」とOKを出す。
 
 よかった~。他に三人の女房どもを誘って公用車(牛車)に乗り、洛北は松ヶ崎あたりへ出かけます。清少納言が一番すきな鳥、ホトトギスがそこかしこでさえずり、気分はルンルン。そこには定子の親戚の貴族が 洒落たセカンドハウスに住んでいて、四人を歓迎してくれました。ランチには、貴族が「私が摘んできたワラビです。どうぞ」と嬉しいサービス。これがすごく美味しくてみんな大満足です。

 帰りは牛車に卯の花をいっぱい飾り付け、花車にしてご帰還。歌を詠むという宿題をすっぽかしてしまいました。


ワラビが美味しかった~、という土産話に興ずるも、定子に「で、歌はつくったの?」と言われて四人はショボーン。定子はご機嫌斜めです。
 二日後、清少納言が出仕して定子と雑談していると、定子はさりげなく筆をとり「下蕨こそ 恋しかりけれ」と書いて渡し、上の句を書きなさいと命じます。(ワラビ美味しかった、の話ばかりで歌作りをさぼったことに対するイジワルです)清少納言、ピンチ。


彼女はとっさに返します。「ほととぎす 訪ねて聞きし 声よりも」と詠んだのです。(後に流行する「連歌」の形式です)

    ほととぎす 訪ねて聞きし 声よりも
       下蕨こそ 恋しかりけれ

二人で合作したこの歌、鳥のさえずりを愛でる風流よりも、山菜料理の美味しさのほうが恋しい、というグルメ礼賛歌になってしまいました。

 この、いかにも清少納言らしい機知に定子は「やられた」と白旗をあげます。「ほんま、あんたようやるなあ、負けたわ」感心してケラケラ笑い合ったのでした。


・・という話の原文の一部をコピーすると、こんな具合です。


(略)唐繪にあるやうなる懸盤などして物くはせたるを、見いるる人なければ、家あるじ「いとわろくひなびたり。かかる所に來ぬる人は、ようせずばあるもなど責め出してこそ參るべけれ。無下にかくてはその人ならず」などいひてとりはやし、「この下蕨は手づから摘みつる」などいへば、「いかで女官などのやうに、つきなみてはあらん」などいへば、とりおろして、「例のはひぶしに習はせ給へる御前たちなれば」とて、とりおろしまかなひ騒ぐほどに、「雨ふりぬべし」といへば、急ぎて車に乘るに、「さてこの歌は、ここにてこそ詠まめ」といへば、「さばれ道にても」などいひて、

 卯の花いみじく咲きたるを折りつつ、車の簾傍などに長き枝を葺き指したれば、ただ卯花重をここに懸けたるやうにぞ見えける。供なる男どももいみじう笑ひつつ、網代をさへつきうがちつつ、「ここまだし、ここまだし」とさし集むなり。(略)

 二日ばかりありて、その日の事などいひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ手づから折りたるといひし下蕨は」とのたまふを聞かせ給うて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙のちりたるに、

   したわらびこそこひしかりけれ

とかかせ給ひて、「もといへ」と仰せらるるもをかし。

   ほととぎすたづねてききし聲よりも

と書きて參らせたれば、「いみじううけばりたりや。かうまでだに、いかで杜鵑の事をかけつらん」と笑はせ給ふも恥しながら「何か、この歌すべて詠み侍らじとなん思ひ侍るものを、物のをりなど人のよみ侍るにも、よめなど仰せらるれば、えさぶらふまじき心地なんし侍る。(略)


現代でいえば、在りし日の美智子妃殿下とお付きの女官のトップとの関係に近いかも知れませんが、清少納言はひたすら畏まって仕えるという女性ではなく、失礼スレスレの物言いもしたらしい。また、定子にもそんな態度を受け入れる度量があった。清少納言は、女が女に惚れるという感じで、生涯、この方にお仕えしたいと思っていたが、不幸なことに、定子は24歳で亡くなってしまう。華やかな宮廷サロンの暮らしは数年しか続かなかった。


枕草子といえば「春は曙 やうやう白くなりゆく山際 すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる・・」という教科書の文だけ記憶に残って、あとはプッツンというのが普通ですが、今回、雑に読んだだけでも、彼女の才能・・感受性の鋭さやすぐれた美意識に感心させられます。1000年前にこんなにスゴイ女性がいたのかと誇らしくなります。


教科書の「枕草子」はあっちにやり、まずは清少納言本人にアクセスするほうがうんと親しみやすいと思います。前記の「千夜千冊」を開けて全文読み通せば、少納言姐に会いたくなるでせう。蛇足ながら、清少納言の読み方は「せいしょう・なごん」ではなく「せい・しょうなごん」です。

 

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