読書感想文

堀辰雄風立ちぬ」を読む

 いまどき、こんな古めかしい恋愛小説を読む人なんていないだろうと思って新潮社文庫版の奥付を見ると、平成23年で115刷、ドヒャ~であります。他社からも数種類の同じ本がでているから、ものすごいロングセラー。改めて「こんな本、誰が読んでるねん」と怪しむ駄目男です。


昨今の世相とはプッツンした、昭和10年ごろの「清く、正しく、美しく」式の物語です。背景が八ヶ岳山麓の高原や雑木林、舞台装置はサナトリウムというロマンチスト向けの設定がウケるのか。たしかに、自然の風景の描写はしつこいくらいで、カップルに次いで三番目の役者という感じです。これが読者を惹きつけていることは間違いないでせう。全体のイメージは、ガキの頃に読んだ立原道造の詩のセンスに通じるところがあって、戦前派には懐旧感ひとしおです。


それにしても、こんな古めかしい小説がなんで人気を保ち続けるのか。その答えのひとつは、ストーリーが魅力ではなく、文章全体が醸し出す「上品さ」ではないか。読み終わって、こんな作品、堀辰雄しか書けないナ、と思わせるところがある。現代の作家が書けない、薄味、ハイセンスな中身と表現が魅力なのでせう。


なんと言っても「風立ちぬ」というタイトルが良い。読者の購入動機の半分はコレではありませんか。「風が吹いた」を「風立ちぬ」と言い換えた著者のセンスに脱帽です。「風立ちぬ いざ生きめやも」というこの上なく美しい響きの言葉で世人の心を掴んだ。著者はフランスの詩人、ポール・ヴァレリーの詩の一節を意訳して、これをタイトルにしたそうだが、いざ生きめやも、という日本語自体もややこしい。生きめやも、は生きねばならないという意味らしいが、解釈より語感の美しさでモテるタイトルでありませう。


 語感の美しさといえば、ラベルの作曲による「死せる王女のためのパヴァーヌ」という曲は曲名と曲の内容とは全く関係が無い。このタイトルをフランス語で読んだときの語感がとても美しく、魅力的なのでつけただけという。本書が別の題名だったら、ベストセラーにならなかったと思いますよ。


100年前、結核は国民病だった。多くの作家も患い、堀辰雄も患った。代わって、今はガンが国民病。「風立ちぬ」を凌ぐ、百年読み継がれる名作が生まれるだろうか。(2012年 新潮社発行)

 

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