読書感想文

オスカー・ワイルド幸福の王子」を読む曾野綾子訳)

 新聞の隅っこの書籍広告のキャッチコピー「どの作家にも、この一冊を書き終えたら死んでもいい、と思う作品があるはずである。もし、私がオスカー・ワイルドなら「幸福の王子」がその作品だ」 これに釣られて購入。この惹句は、本書の「あとがき」の冒頭の文だった。


 曾野綾子の本は昔にたくさん読んで十分食傷していたのですが、童話の翻訳というので手にした。なかなかネタ切れを起こさないしぶとい人であります。
 オスカー・ワイルドといえば、すぐに戯曲「サロメ」を連想し、サロメといえば、おどろおどろしい、O・ビアズリーの挿絵を思い出してしまう。19世紀末の退廃、耽美趣味というイメージになってしまう。しかし、本書は童話であります。大人なら20分で読み終えてしまう短編です。なのに、曾野綾子センセは「この一冊を書き終えたら死んでもいい」作品だと思いっきり持ち上げた。


主人公は、幸福の王子と呼ばれる金ぴかの像と、たまたま、そこに立ち寄った一羽のつばめ。語られるテーマは「無償の愛」「自己犠牲」という高邁な精神でありますが、これを小学生でも理解でき、あの世が近いロージンをも感動させる物語として完成させた、という点で曾野綾子センセは高く評価した。あの「サロメ」のイメージと全く異なる内容に駄目男の石頭脳はオヨヨと錯乱したのであります。


幸福の王子とつばめは、貧しいお針子や、飢えた少年や、寒さに震えるマッチ売りの女の子などを救い、最後は与えるものが無くなって死んでしまう。その亡骸を役所の人間はゴミとして捨ててしまった。救済や慈悲の尊い行いに何の見返りもなかった。


自分は他人のために何が出来るか。他人を救うために自分の命を犠牲にする覚悟があるか・・と言う重いテーマがさらりと語られるところに本書のネウチがあります。こんな深刻なこと、私たちは日常において考えることはほとんどない。そのくせ「愛」や「平和」といった言葉は軽々しく口にする。


曾野センセは、あとがきの中でこう述べている。「もし、平和や愛の達成というものが、戦争の残酷さを語り継いだり、デモや署名活動に参加したり、いっしょに歌を歌ったり、千羽鶴を折ったりすることで達成できると思っている若者や壮年や老人がいるとしたら、安っぽい勘違いだ。真の平和や愛とは、そのために自分の持ち物や財産を全部差し出し、自分が盲目になることや、最後には自分の命さえ与えることを承認することだ、ということを悟るはずである。平和は平和を叫ぶだけでは達成しない。そのためにどれだけの犠牲を払う覚悟があるかを自分で選ぶのだ」(以下略)。


本の「あとがき」をこんなに熱く書いてるのは珍しい。クリスチャンにしてリアリストでもある曾野センセの面目躍如たる文であります。本文の最後の一行は原文から離れて意訳したとあり、神の教えより現世の人間に寄り添った文に変えられている。


オスカー・ワイルドは毀誉褒貶の激しい人生を送り、1900年、46歳で亡くなった。退廃的かつ猥褻な絵を描き続けたビアズリーもわずか25歳で世を去った。(2006年12月 パジリコ発行)

 

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