高山龍三「失われたチベット人の世界」を読む

 自分の母方の家系図を一年がかりでこしらえる過程で本書の著者、高山龍三(故人)が遠い親戚であることがわかりました。10月の記事の小川洋子さんほどの珍事でないにしても「へえ~、そうだったのか」であります。どんな人物なのか、ウイキでぐぐるチベットの民俗研究をライフワークにした学者でした。また、チベット研究の先達、河口慧海の業績研究の第一人者でもあるらしい。ならば、その研究の一端でも知りたいと思い、本書を図書館の書庫から借りだしました。


この本で描かれているチベット人の暮らしは1970年ごろのものと思われ、現在のような中国による露骨な人権抑圧や思想改革の影響はなかった時代です。インターネットどころか、電気もない暮らしが普通で、そのぶん昔の習俗が色濃く残っていた。そんな世相で一番詳しく解説しているのがチベットの葬式文化です。独自の「鳥葬」の解説を以下にまとめました。


鳥葬の現場を見て記録した
 世界的にみればお葬式の形態は「土葬」と「火葬」が大半らしい。しかし、チベットには、火葬、鳥葬、水葬、土葬、の四種類があり、死者の階層によって使い分ける。最高ランクは火葬で僧侶や大金持ちに限られる。その理由が興味深い。「火」に価値があるのではなく、火葬に用いる樹木が容易に準備できないからだという。食事づくりに用いる薪集めでも苦労するゆえ、火葬はとても贅沢な葬式である。よって貧乏人にはできない葬式である。


「水葬」や「土葬」は大層なセレモニーを伴わないので貧しい人に用いられる。原因不明で亡くなった人、伝染病で亡くなった人にも用いられる。そして、一番多いのが「鳥葬」。このランクづけは印度の哲学「万物は地・水・火・風の四元素に帰す」と関係があるらしい。(風=鳥葬・空葬ともいう)
 著者は鳥葬の現場を目撃していて葬式の経緯を記している。私たちは亡くなった人(遺骸)にも敬意を以て接するけど、チベットではその観念がなく、人間は息絶えたら単なる物体に化すと考える(これが大事)。哀悼の意識がなくなる。遺体を鳥の食材にするなんて酷いことはこの概念があればこそである。岩山ばかりで生き物自体が少ないところだから鳥も生きるのが精一杯という厳しい環境。そこに人間が食材として供される。火葬、水槽、土葬、に比べたら、生き物にやさしい仕組みといえる。異なる文化圏の人間が鳥葬を死者への残酷な仕打ちと考えるのは仕方ないけれど、異文化の土地では間違った考えだ。


著者が現場を目撃して記した文をここに書き写すことは酷すぎてできない。想像するだに身震いする凄惨さである。自分が100%憎悪の気持ちで殺せるのはゴキブリくらいしかないと思い知った。ホント、セミを捕まえてバラバラにする勇気もないdame 男であります。なのに彼らは自分の家族を・・・。


ほかに、珍しい結婚制度も紹介している。チベットでは一妻多夫制度がある。べつに女性の権力が強いわけではなく、子孫を確実に残すための習俗で、逆の一夫多妻もあるが、大方はふつうに一夫一妻制度である。(1990年 日中出版発行)

 

 

マスキングテープを使った手抜き年賀状

 5枚、10枚、といった少数の義理年賀状を出すとき、市販の印刷賀状を使うのが簡単ですが、値段が高いし無駄になりがちです。そんな場合、手持ちのマスキングテープをテキトーにあしらってカッコつけるという方法があります。挨拶文字だけではあまりに無愛想、という場合、紙面にちょこっとあしらうだけで結構サマになります。半端に残ったテープが意外に役立ちます。テープやシールは百均ショップで購入したものです。

 

 

 

痒いところに手が届く・・エアコン用<お掃除スティック>

 エアコンの掃除といえばフィルターしかしないのが普通。もうちょっとマメに手入れしたい人に便利な道具があります。写真の<お掃除スティック>で100均ショップ<cando> の商品。手の届きにくいエアコンの上面やフィルター下部の隙間のホコリ取りに便利です。折り曲げ自由な針金に筒形のクロスをかぶせただけのものですが、自分で作るのは面倒そう。クロスは洗えます。サッシ戸のレールの掃除にも便利です。

●エアコンの掃除は必ず電源をOFFにして作業すること。
●これで金属製フィンの掃除はできません。手を触れるとケガすることがあります。

 

手の届きにくい天井との隙間に差し入れてホコリを取る

 

ここのホコリを取るのに便利です。

 

掃除部分に合わせて折り曲げます。

 

サッシ戸のレールの掃除にも使えます。

 

もう一冊、岸本尚毅「文豪と俳句」を読む

 図書館の書棚の「俳人漱石」のとなりに集英社新書の「文豪と俳句」があったので、これも借りてチラ読みしました。俳句づくりも嗜んだ小説作家の作品を解説した本です。漱石の句もでてきますが、前稿で紹介した<菫(すみれ)程な小さき人に生まれたし> はオフィーリア(ハムレットのヒロイン)のイメージからつくった作品だと書いてありました。へえ~~、そうだったのか、とこれは小さな発見でした。オフィーリアの兄、レアティーズのセリフ「美しい汚れを知らぬ妹のからだから、スミレの花よ、咲き出でよ」が発想のモトになった。


尾崎紅葉森鴎外宮沢賢治太宰治、などの有名作家の句が紹介されていて、それぞれの個性、センスが現れています。最後に紹介されていた瀬戸内寂聴の作品も印象深いものです。


子を捨てしわれに母の日喪のごとく    寂聴

老いし身の白くほのかに柚子湯かな    寂聴


(2021年 集英社発行) 

夏目漱石の俳句集から<秀作>を見つけました

 12月13日掲載の森本哲郎「月は東に」の感想文では漱石が敬愛する蕪村と漱石の俳句作品の優劣差が大きいとの感想を書 きました。だから、漱石俳句集なる出版物はないのだと思い込んでしまったのですが eight8eight_888 さんから「岩波書店より単行本で「漱石俳句集」が出版されてます」と教えて頂きました。eight8eight_888 さん ありがとうございます。これで dameo の漱石俳句二流説はあっけなくホーカイしてしまったのであります。


だからといって「漱石俳句集」をひもといて2500余の作品に目を通すなんていくら閑人でもしんどいので、漱石俳句集「即席秀作選定の素」なる虎の巻はないものかと探したところ、ありました。漱石俳句はこれがお勧めと百句をセレクトした、自分にピッタリのカンニング本です。


坪内稔典(としのり・通称ネンテン)著「俳人漱石岩波新書であります。
 著者は産経新聞に月に二、三回、コラムを書いている俳人、評論家。本書の何が優れているかを言えば、ありきたりの解説ではなく、漱石、子規、そして著者、坪内氏による鼎談という面白いアイデアを取り入れたことです。
 こんなに楽しくて大胆な企画を実現出来たのはひとえに坪内センセに漱石、子規に関するバツグンの情報量があるからです。お陰で坪内センセは漱石や子規とは昔からの友人同士みたいな感じで会話が書ける。実際、センセは「私は自分の履歴や作品より、漱石、子規の人生や作品のことを詳しく知っている」と述べています。さらなる幸運は、坪内センセは愛媛県伊方町の出身で、漱石、子規とともに愛媛に縁の深い境遇がこのアイデアを生んだと言えます。


さっそく鼎談を紹介しませう。いきなり大問題作登場です。

漱石作品 鐘つけば銀杏ちるなり建長寺 (明治28年作)

漱石:あれっ、これは子規君の有名な<柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺>とそっくりじゃないか。
坪内:ええ、そうですね。漱石さんの句は9月6日の「海南新聞」に、そして子規さんのは11月8日にやはり「海南新聞」に出ました。
漱石:私の句が先に出来ているのか。こりゃ、驚き桃の木柿の種だ。
子規:二人で何を言ってるんだね。明瞭じゃないか。どちらが秀句かは。
坪内建長寺に対して法隆寺、銀杏に対して柿、鐘つくに対しては柿を食う。   この対決はたしかに西の勝ちですね。鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは寺の風景としては平凡です。ハッとするものがありません。
漱石:残念だがその通りだ。その点、子規君の句はさすがだ。「柿食えば鐘が   鳴る」は意表をつく。あっと思うよ。その場所が田園風景にある古代の寺院というのもいいね。 ~以下略~      
      
こんな具合に鼎談がすすみます。本書によれば、この名作の誕生、漱石のB級作品を土台にして子規がこしらえたというのが真相らしい。子規は漱石の句を9月の句会で見ており、その後、奈良方面を旅行した。そして前記の「海南新聞」11月8日号で発表した。(その旅行の費用を子規は漱石から借金した)
正岡子規の大傑作は漱石のアイデアを借り、旅費も借りて・・ようするに漱石に「おんぶに抱っこ」されて生まれた・・そうであります。(注)この話、昔、別の本で読んだことがあるような気がする。


坪内センセは漱石の2500句から百句を選んで紹介しています。これを見るとオールB級のイメージは薄まり、蕪村にはかなわないけど佳作があることに気づきました。その百句のなかから dameo  がお気に入りの作品を選んでみました。


三十六峰我も我もと時雨けり


永き日やあくびうつして分かれ行く


菫程な小さき人に生まれたし


道端や凍り付きたる高箒


草山に馬放ちけり秋の空


有る程の菊投げ入れよ棺の中


秋立つや一巻の書の読み残し


さらにナンバーワンを選べと言われたら<菫程な・・>を選びます。


著者は、他の詩歌とちがって俳句は「世間での読まれ方」が大事だという。ほとんどの人が俳号をつくって発表するのは作者の個人情報を消して、即ち、作品が作者を離れて世間を一人歩きすることが望ましいからだという。句会においては作品は無署名で出すが、これは「誰が作ったのか」を無視するためで、あくまで作品本意で優劣を決める。履歴や個性などは評価の対象にしない。
 そういえば、本名を名乗って一流になった俳人はいないような・・気がします。では、短歌も匿名で発表するのが普通なのか。う~~ん、ワカリマセン。
 因みに、漱石の俳号は「愚蛇仏」であります。(2003年 岩波書店発行)

 

 

寒波がくる前に・・御堂筋イルミ見物

 大阪の冬の定番見世物になった御堂筋イルミネーション。どうしてかっこよく見せるか、のアイデアも出尽くした感あります。「こんな案はどない?」と一般から募集してはどうでせうか。あるいはランプの新製品が登場するかもしれない。一本の木で七色に色変わりするとかは?・・・いや、こんなの作ったら交通事故増えると思います。
 御堂筋は将来全面歩道化(公園化)の計画があって、一部で工事をはじめています。このアイデアは、将来、車の数が減るだろうと想定するからです。車のための幹線道路が歩行者天国になり、都市インフラの大イメージチェンジです。(12月16日撮影)

 

日没前はイチョウの黄葉した葉の色も見えるので重厚な感じがする。

 

こんな風景が約3kmつづきます。

 

森本哲郎「月は東に」を読む

 ~蕪村の夢 漱石の幻~ という副題がついている。雑誌に連載したエッセイをまとめた地味なつくりの本でありますが、内容はとてもユニークな発想で、漱石ファン、蕪村ファン、どちらにもおすすめしたい作品です。


誰でも知っている漱石草枕』の冒頭と言えば ~ 山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい … という文章ではじまるのですが、著者は、本書の主人公は漱石が敬愛する与謝蕪村の分身なのだ、と想像する、いや、もうほとんど決めつけている。「草枕」では主人公は<画工>という職業で描かれているけど蕪村もプロの画家で旅をしながら絵を描き,売って生業にした。


ひえ~、そんなアホな、と言いたくなりますが、著者は真剣であります。中学生の頃からポケットに「蕪村俳句集」を忍ばせ、漱石の「草枕」を何度も何度も読み返して春光まぶしい山里の桃源郷を想像した。他愛ない空想かもしれないが、何年経ってもこの思いは変わらず、とうとう夏目漱石は与謝野蕪村の人生を「草枕」の主人公に写して小説をこしらえたのだ、と自信満々であります。今ふうに言えば「草枕」の主人公は与謝野蕪村のアバター(分身)だと言うのです。


自分は蕪村も漱石も皆目知らない爺なので検証などできるわけない。しかし、「草枕」は漱石の他の小説に比べたら雰囲気の異なる作品であることはなんとなく察することができます。さらに言えば、漱石自身、余技として俳句や日本画をたしなみ、蕪村ワールドに親しんでいた。だからといって「草枕」で画工が俳句をひねるという場面は出てこないが、敬愛する蕪村の生き様を「草枕」の主人公に投影したいと言う思いは十分伝わると、著者、森本センセに共感するのでありました。


漱石がいかほど蕪村に憧れ、近づこうと努力していたか、俳句においては蕪村作品を手本にした?と思われるものがたくさんある。たとえば・・・

蕪村・・牡丹散てうち重なりぬ二三片
漱石・・二三片山茶花散りぬ床の上


蕪村・・絶頂の城たのもしき若葉かな
漱石・・絶頂に敵の城あり玉霰(あられ)


蕪村・・春雨や小磯の小貝ぬるるほど
漱石・・春雨や京菜の尻のぬるるほど


蕪村・・骨拾う人にしたしき菫かな
漱石・・骸骨を叩いてみたる菫かな


う~~ん・・・んぐぐぐ・・三番目の春雨の句なんか剽窃といわれても仕方ないような。諸兄の感想はいかがでせうか。自分のような鈍感人間が読んでもクオリティの差はしっかり分かります。


著者の調べでは、蕪村、漱石、両者ともに生涯に2500~2800の句を作っている。数の上では互角でありますが、芸術価値では漱石センセが完敗でありませう。そういえば「夏目漱石句集」って見たことがない。(不詳)もし、漱石が俳句に自信をもっていたら小説や随筆にさりげなく紹介してもよいと思うのですが、そういう場面はあるのでせうか。(これも不詳)


ま、なんというか、漱石の俳句は所詮、余技、道楽の類いである、蕪村に比べたらヘタは当然として思考停止してもよいのですが、一方、漱石ほどの大作家、文学者が二千数百もの句を詠みながらオールB級に甘んじたことに<小さな感動>を覚えるものであります。十七文字で人生を、世界を詠むことができる俳句のすごい表現力。それを易々とこなした(ように思える)蕪村に対する漱石の思いは憧憬、尊敬の念だけだったのか。


読み終わって数日たったころ、ハタと思いついたことがある。「草枕」冒頭の文句、智に働けば角が立つ、云々は、もしや,漱石の蕪村に対する劣等感を他人事のように言い表してるのではないか。智を働かせても意地を通してもマッタク蕪村の域に達しない・・と嘆きつつ、されど、詩人や画家の活動は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い、と。ま、しゃあないか。
 著者、森本センセの自信満々の空想に更にdameo の妄想を重ねたのであります。漱石大センセ、スビバセンね・・と、ここは枝雀師匠ふうに謝っておきます。


面白半分に書いた感想文ですが、久々に「余韻が味わえる」読書になりました。漱石の蕪村に対する憧憬と劣等感。いや、憧れの気持ちは本物だけど劣等感など失礼千万な邪推かもしれない。でも、漱石は「生まれ変われたら蕪村になりたい」と100%願っていたでありませう。蕪村以外に「なりたい人」なんていなかった、と自信もって言えます。(1992年 新潮社発行)


 余韻といえば、https://rubyleo.hatenablog.comさんが11月27日のブログで「余韻を楽しむって贅沢ですか」という題の文を書いておられます。今や映画を見ても歌を聴いても、ラストで余韻を味わえる場面は皆無になった。映画のエンドロールは作品の余韻を味わうには有意義な時間なのに、歌手が歌い終わって深々とお辞儀するシーンは歌手と聴衆の一体感を生むために必要なタイムなのに、いまどき、そんなのムダな時間とばかりカットしてしまうとのご意見でした。同感であります。余韻と言えばもうひとつ・・美味しい酒に出会ったときは喉を過ぎてから余韻に浸るという愉しみがあります・・といっても昔の話。コロナ禍でアクリル板立てたカウンターじゃ余韻なんか味わえません。


<追記>念のために、図書館の全集作品棚で「夏目漱石俳句集」を探してみた。岩波書店の「夏目漱石全集」の第十七巻に<俳句・詩>編があり、俳句は2560句が収録されている。最後の数句を書き写してみた。


吾猫も 虎にゃならん 秋の風

行く年を 隣の娘 遂に嫁せず

水仙や 朝風呂を出る 妹が肌

初雪や 二合の酒に とけるほど

 世に「夏目漱石句集」なる出版物が存在しないワケ、納得であります。 

 

 

日記は月に一度、まとめて書く 

今週のお題「日記の書き方」

日記は月に一度、まとめて書く
 日々の予定と出来事はメモ欄のあるA3のカレンダー(100均商品)に書き込み、スペースが足りなければメモ帳にも書く。これを毎月のはじめに日記帳に記す。このときに記事の取捨選択ができるので早ければ10分、手間取っても20分くらいで終了。毎日書くよりずっと楽ちんです。


リングファイルを日記帳に使う
 日記帳になぜリングタイプがないのか。答えは「片面しか書けない」からです。(右利きの人は左ページに書けない)この欠点をどう解決したか、下の写真でおわかりだと思います。リングファイルを使うと、ページの追加、削減が簡単にできるし、透明ポケットにチケットやレシート、パンフ、接種証明書などの保存もできる。また、一冊で日記帳とアルバムを兼用するなど、アイデアが生かせます。市販の日記帳は細部の工夫、気配りが満点だけど、余計なお世話の感がして買ったことがない。 

 

A5リングファイルとルーズリーフ、透明ポケットを使用。両面を日記に使うときは日記を背中合わせにして透明ポケットに入れる。

小林秀雄「モーツアルト」を読む

 およそ半世紀ぶりに再読。モーツアルトの伝記や作品論は20冊くらい読んだけど、音楽評論の専門家ではない小林センセのこの作品が記憶に止まっているのはなぜか。文章は上等とは言えないのに、なんか説得力がある。これです。
 本書でいちばん知られている文章は、<モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海のにおいのように「万葉」の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい>。そのかなしい旋律の例として交響曲第40番第4楽章の冒頭のメロディを楽譜を掲げて説明した。


交響曲のワンフレーズの説明に万葉集を持ち出す。こういう発想は音楽の専門家はできないぶん、妙に説得力がある。音楽ではなく古典文学の切れ端一つでモーツアルトファンは「ほんまやなあ」と納得してしまうのであります。
 すると、別のところで<モーツアルトは転調のワザが上手い>と述べていると「そやそや、同感」となり、小林節に感化されてしまうのであります。


当作品が発表されたのは1946年(昭和21年)終戦直後のドサクサ時代だった。ということは音楽再生はSPレコードしかなく、むろん、ライブの演奏会など皆無だから、いかにモーツアルトに惚れ込んでいても音楽鑑賞には最悪の環境だった。そういう世相においてモーツアルト作品のデリカシーを語るのだからよほどの想像力がいる。むろん、文献だって現在と比べたら百分の一くらいしかなかったはず。そんな、ないない尽くしの時代に、かつ、音楽専門家でないのに堂々と世に問うた「モーツアルト」論。
 

80年近く経た今、この「モーツアルト」が内容に誤謬多とか時代感覚が古すぎるという批判を聞いたことがない。実際、今回再読して時代錯誤を感じた文章は皆無でありました。もしや、あと100年くらいは情報価値があり、昭和時代に書かれた最良の音楽論として「古典」扱いされるかもしれない。世のモーツアルトファンの皆様、ぜひ読んでみて下さい。(平成15年 新潮社発行)

 

 

 

 

炒飯にオクラのトッピング

 冷凍野菜の品目が増えてコスト減、手間減に役だっています。かぼちゃ、ピーマン、オクラ、などを常備。いずれもカット加工済みなので、一度これを使うと野菜売り場で買う気になりません。オクラを炒飯にのせてチンすると、オクラのとろみがしみ出して飯に混ざるので少し食感が変わります。手抜き昼メシにどうぞ。